NEW ENTRIES

YOSHIDA グルメソース オリジナル
    「何も選ばない」生き方のすすめ

スペアリブを作ってみた。熱湯で一度湯通しして洗ったスペアリブを2~3時間、強すぎない火力で茹でた。
(湯通しするメリットのひとつに、最高のゆで汁が作れて、それが無化学調味料のラーメンスープとなる。)

トニーローマが日本では有名だが、アメリカではApplebee’sらしい。これらのタレを再現するレシピを探すが
ネット上には見つからない。前に、コストコで買った「ヨシダ 無添加グルメのたれ」があったので使ってみた。
(トニーローマのタレは西友で売っているらしい)

素材の水分で薄めないように注意して、直火の付け焼きで少しだけ焦げ目が付くまで焼いたのだが、最高に美味しい。

安息香酸ナトリウムを無くしてくれたら有り難い。日本では表示義務が無い為か、背面の原材料には記載されていない。
amazonには下記のように掲載されているが、記載ミスか?。醤油に由来するものなら、さほど心配はしないが・・・。
余談だが、ヨシダソースのバーベキュー味は苦手だった。


商品紹介

ヨシダ 無添加グルメのたれ 1.36kg
yoshida`s

,◎商品説明

全米をソースでハッピーにした男、吉田潤喜さんが作った「グルメのたれ」はアメリカをはじめとして世界14カ国で販売されています。

オリジナルグルメのたれは、保存料無添加の本醸造のしょうゆをたっぷりと使ったコクのある風味豊かな万能のたれです。

牛・豚・鳥などの肉類のお料理にマリネ用またバーベキュー用として。また様々なお料理の味付けに。

隠し味としても幅広くお使いください。

◎内容量

1360g

◎原材料名

醤油(小麦、大豆、食塩)、砂糖、コーンシロップ、みりん、にんにく、香辛料、でん粉、酸味料

◎原産国

米国
原材料・成分

醤油、糖類(砂糖、果糖、コーンシロップ)、みりん、ニンニク、香辛料、澱粉、安息香酸ナトリウム
使用方法

冷暗所保存 開栓後は要冷蔵
安全警告

※よく振ってからお使いください。製品の性質上中身が分離する場合がよくありますが、品質には何ら影響ありません。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 22:19 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
但馬牛の血統守れ、種雄牛“大移動” 感染症に備え
    「何も選ばない」生き方のすすめ

神戸ビーフなど高級牛肉のもとになる「但馬牛(たじまうし)」を口蹄疫(こうていえき)など感染症から守るため、兵庫県は今月上旬、血統維持の根幹をなす種雄牛(しゅゆうぎゅう)26頭を加西市から朝来市に移動させた。県は種雄牛全40頭を両市の2施設で飼育するが、人や車両の出入りが少ない朝来市の施設の感染リスクがより低いとみられるための措置。但馬牛は他県の牛と交配せず飼育されてきた和牛で、いったん血統が失われると取り返しがつかず、県は万一の事態に備えて管理体制を見直した。(長谷部崇、阿部江利)

 県が2015年度に計画をまとめ、16年度から取り組む「但馬牛遺伝資源保管対策整備事業」の一環。10年に宮崎県で口蹄疫が大流行した際、牛や豚など約30万頭が殺処分され、ブランド牛「宮崎牛」の種雄牛の多くが失われたことなどを踏まえている。

 但馬牛の血統維持で最も重要なのが、生産者に精液を配布する「基幹種雄牛」全12頭と、その候補となる「待機種雄牛」全28頭。口蹄疫などの感染リスクを分散させるため、従来は基幹牛9頭と待機牛24頭を加西市別府町の畜産技術センターで、基幹牛3頭と待機牛4頭を朝来市和田山町の北部農業技術センターで飼育してきた。

 今回の事業では、加西の基幹牛6頭と待機牛20頭を朝来に移動させることを決定。加西の畜産技術センターは隣に県立農業大学校があり、人や車両の出入りも多い。一方、朝来の北部農業技術センターは人里離れた山あいにあって周りに畜産農家が少なく、口蹄疫の感染リスクがより低いと考えられるためだ。

 種雄牛は去勢牛や雌牛より体が大きく、体重は1トン近くに達する上、性格は繊細で特別に広い飼育スペースが必要となる。今回の種雄牛引っ越しに先出ち、肉の品質などを調べる検定肥育牛80頭を朝来から加西に移動させ、空いたスペースに種雄牛舎を整備。両センターと農業大学校での牛舎の新設・改築も含め、“玉突き移動”した牛は計240頭に上ったという。

 両センターの衛生管理も強化し、それぞれに消毒施設を整備した。北部農業技術センターの福島護之所長は「万が一、口蹄疫が発生すれば、兵庫の畜産業界にとって計り知れない痛手になる。万全を期して対策を進めたい」としている。

 但馬牛が食肉にされた段階で一定の品質評価を受けたものが但馬牛(ぎゅう)で、その中でも霜降り度合いや脂質など決められた基準を満たした肉が「神戸ビーフ」とされる。

【口蹄疫】牛や豚、ヤギ、シカなどの偶蹄(ぐうてい)類が感染する家畜伝染病。口やひづめに水ぶくれやただれができ、発熱、食欲不振、歩行困難などの症状が出る。感染した家畜のほか、車両、人などを介して伝染し、空気感染でも広がる。成長した家畜の死亡率は数%とされるが、感染力が極めて強いため、発生した場合は家畜の殺処分など防疫措置が取られる。
2018/10/11 05:55神戸新聞NEXT




北部農業技術センターで飼育されている種雄牛。手前は基幹種雄牛の「丸春土井」=朝来市和田山町安井


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 13:05 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
神戸、松坂…ブランド牛の父わずか12頭 選び抜かれた「超エリート」
    「何も選ばない」生き方のすすめ

私たちに“口福(こうふく)”を感じさせてくれる但馬ビーフ。おいしい牛肉を食べられるのは、農家と但馬牛たちのおかげだ。しかしこの但馬牛、毎年約1万1千頭の子牛が誕生するが、実は父牛はわずか12頭しかいない。厳しい選抜試験を経て選び抜かれた、「スーパーお父さん」たちなのだ。(阿部江利)

 兵庫県北部農業技術センター(朝来市和田山町安井)によると、スーパーお父さんこと「基幹種雄牛」は、牛の肉の状態や血統の価値を評価した「育種価」が、特に高い超エリート牛だ。種雄牛は、県内の生産者に凍結精液が提供される。父牛を選び抜く制度は1960年代に始まり、今のシステムになったのは98年ごろからだという。

 選抜の方法は独特だ。基幹牛の候補になる牛は、雌牛に実際に子牛を産ませ、肉の量や脂肪の入り方を評価。血統も踏まえ、父牛としての偏差値を割り出す。

 12頭の基幹牛は年1回、その座を懸けた入れ替え戦に臨み、基幹牛の座を狙う「待機種雄牛」7頭と、自らの子どもたちの肉の出来栄えで競い合う。但馬牛には主に三つの系統があり、それぞれの系統ごとの戦いとなるという。

 待機牛は年齢ごとに1~4年生まで各7頭おり、入れ替え戦に臨むのは4年生。待機牛は農家の雌牛と交配して40頭の子牛を生産しているが、うち16頭を選んで2年前後太らせ、肉を評価した結果が、その父牛の命運に関わってくる。

 しかし、その待機牛も並大抵の牛ではない。県内の農家では、雄の子牛が年に約6千頭生まれるが、優秀な雌牛に生ませて選び抜かれた16頭だけが、待機牛にノミネートされる。体形や発育状況などでさらに選抜され、6千分の7まで絞り込まれたのが待機牛だ。

 雄牛は基本的に去勢されて肉になるほか、「戦い」に敗れた雄も「お肉になります」(同センター)。基幹牛とその座を狙う計19頭が戦い、優秀な種牛が残り、負けた7頭が肉となる。雌には母牛の道もあるというが、父牛の世界はより厳しい。スーパーお父さんも大変なのだ。

 銘柄牛として世界に名をはせる「神戸牛」や「特産松阪牛」は、純粋な但馬牛をそのまま育てたもの。但馬牛のお父さん12頭とはすなわち、この二つの有名な銘柄牛のお父さんでもある。
2018/10/11 10:40神戸新聞NEXT

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 13:04 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
特産松阪牛
    「何も選ばない」生き方のすすめ

松阪牛、「特産」先細りに危機感 発祥の地をゆく

2015/6/9

 日本一の銘柄和牛とされる「松阪牛(まつさかうし)」。その中でも兵庫県但馬・淡路産の子牛を900日以上長期肥育した松阪牛は「特産松阪牛」と呼ばれるのをご存じだろうか。「匠(たくみ)」といわれる牛飼いたちが一頭一頭手塩にかけ、現在のトップブランドの地位を築いた「特産松阪牛」だが、松阪牛全体に占める「特産」の比率は年々減少している。「特産」の先細りは、松阪牛のブランド力を揺るがしかねない深刻な課題だ。大きな変革期を迎えつつあるなかで、和牛の原風景が残る「松阪牛発祥の地」を訪れた。

■スキンシップを大事に
伝統の肥育法で松阪牛を育てる森本武治さん(三重県松阪市飯南町深野)

 三重県松阪市の中心部から車で30分。山あいにある同市飯南町深野地区は、明治時代から牛の肥育が盛んで「松阪牛発祥の地」と呼ばれている。

 深野地区には「日本棚田百選」の一つにも選ばれた約500枚の棚田が広がる。棚田や茶畑の間を縫うように、つづら折りの坂道を上っていくと、棚田を見下ろす一角に、肥育農家の森本武治さん(68)の牛舎がある。標高約350メートルの山間地とあって夏は涼しく、恵まれた気候と滋養豊かな谷川の天然水は、肉質の良い牛を育てるには最適な条件だ。

 森本さんは肥育農家の三代目。兵庫県北部の但馬産で未出産の雌牛を900日以上育てるという、祖父の代からの伝統的な肥育法をかたくなに守り続けている。

 朝7時、森本さんの1日は自宅前の牛舎で10頭の牛に声をかけることから始まる。一頭一頭を触り、健康状態を確かめる。エサは麦と大豆、ふすまなどを独自に配合したもので、昼間には間食のワラを与える。夏バテで餌を食べなくなると食欲を増進させるためにビールを飲ませたり、背中に焼酎をかけてマッサージをしたりもする。

 牛とのスキンシップを大事に、家族のように大切に育てる伝統が130年間も受け継がれてきた。「頭数は少ないが、じいさん、親父から独自の考えを受け継ぎ、伝統の肥育法にこだわり続けて今日まできた。これまでクレームもなく『今のままの肥育法でがんばってや』と肉屋からも言葉をもらっている」と森本さんは語る。特産松阪牛の最大の特徴は、見事な霜降りというよりも手で触っただけで溶けてしまうという良質の脂にあるという。「但馬産の牛は肉質がきめ細かい。目に見えない細かい霜降りがあるので独特の脂のうま味がある。焼いても炊いても肉の甘い香りが出てくるのが特長だ。うま味は但馬産牛の持って生まれた血統的なものではないか」

 そもそも松阪牛のルーツは、和歌山で調教された但馬産の子牛を家畜商が田畑を耕す役牛としてこの地域に連れてきたものだ。深野では50年前まで、現役の役牛がいた。かつては3~4年働いて引退した牛を、約1年かけて肉牛に育て、出荷していた。

 牛肉食が一般化する明治以降は、肉用肥育に移行。良質の牛の産地として県外に出荷するようになり、牛を歩かせて東京へ運ぶこともあったという。昭和に入るころには、深野をはじめ松阪近郊からは毎年7000頭を県外に出荷するまでになっていった。

■1935年の博覧会で注目
松阪牛発祥の地とされる松阪市飯南町深野地区には美しい棚田が広がる

 松阪牛がブランド牛として不動の地位を築くきっかけになったのは、1935年(昭和10年)に東京芝浦で開催された「全国肉用畜産博覧会」。深野産の肉牛が、神戸牛や近江牛と競って名誉賞を獲得し、一躍、注目を集めるようになった。1958年(昭和33年)に肥育農家や精肉業者らが松阪肉牛協会を発足し、行政も加わって東京へ本格的に進出。トップブランドに育て上げた。

 松阪牛といえば、一般に理解されている定義では「但馬産の黒毛和種で未出産の雌牛を雲出川から宮川までの松阪近郊の区域で3年間肥育したもの」。そう認識している食通は多いだろう。だが、実は現在の松阪牛には「特産松阪牛」と「松阪牛」の区別がある。

 現在、松阪牛とされる牛はすべて「松阪牛個体識別管理システム」に登録され、三重県松阪食肉公社のホームページで検索すると出生地や肥育地などがわかる。システムはBSE問題や食肉偽装事件が起きたのを機に2002年に導入された。

 それまで松阪牛の定義は、3つの認定団体で異なっていたが、システム導入にあたり定義を一本化。「黒毛和種の未出産の雌で最長で最終の肥育地が松阪市周辺の旧22市町村」と定められ、その際、兵庫県産子牛を生産区域で900日以上育てた牛は「特産松阪牛」とされ、通常の松阪牛とは区別されるようになった。
米国に輸出された特産松阪牛(三重県松阪市)

 今年1月、松阪牛が米国に初めて輸出され、現地のバイヤーらに向け試食会が開かれた。国内市場の縮小が見込まれる中で、海外に販路を開拓しようという取り組みで、このとき、米国に輸出されたのは特産松阪牛だ。

 「日本の肥育農家の情熱と伝統文化を守る思いのこもった松阪肉の魅力を感じていただきたい」。米フロリダ州オーランドで開かれた松阪牛のプロモーションで、松阪牛協議会会長の山中光茂・松阪市長はこう呼びかけた。試食会では焼き肉やステーキがふるまわれ「本物の和牛の味を知った」と好評を得たという。

■肥育法の二極化が背景に

 現在の松阪牛の地位を築いた特産松阪牛だが、14年度に出荷された松阪牛(6951頭)のうち、特産松阪牛は3.4%にすぎず、その比率は年々減少している。

 背景にあるのは肥育法の二極化である。特産松阪牛を育ててきた匠と呼ばれる肥育農家が減少する一方、台頭してきたのが短期間で体重が増える血統の子牛を多く飼う多頭肥育の経営だ。

 松阪牛の肥育農家は04年度の138軒をピークに14年度は106軒まで減少した。高齢で廃業した農家も多い。かつて農家約80戸が500頭以上を育てていた深野地区でも、高齢化や後継者不足で残るのは5戸だけ。肥育する牛は計20頭ほどにまで減少した。

 ところが肥育農家数は減ったものの、他地域からの新規参入組を中心に多頭肥育が増えたため、14年度の肥育頭数は1万1080頭と01年度に比べ4倍になった。いま、子牛のうち兵庫県産は1割ほど。最も多いのは宮崎県産で、成長が早く飼料代を抑えられるため、利幅も大きいという。

 「出荷月齢が900日以上と決まっているのは特産松阪牛だけ。特産の出荷月齢は平均41カ月だが、特産ではない松阪牛に比べると10カ月も長く飼う必要があり、それだけ餌代などにコストはかかる」(松阪市農水振興課)。そうした事情が伝統的な但馬牛(兵庫県産)の長期肥育離れを招き、特産の先細りにつながっている。

 もちろん特産以外の松阪牛だからといって品質が劣るわけではない。日本食肉格付協会の格付けでは、特産より特産以外の松阪牛のほうが高い格付けになる割合が多い。しかし、東京都内の牛肉大手卸売問屋の担当者は「やはり昔からの純但馬産の特産松阪牛と比べると、特産以外の松阪牛は脂質ではかなわない。昔に比べ甘みが減り、正直売りにくくなってきている」と打ち明ける。

 伝統の飼育法を守り、特産松阪牛だけを肥育してきた肥育農家の森本さんは「本来の但馬産の味が幻になった時、先人が築き上げてきたトップの地位を守れるか」と心配する。松阪市は特産松阪牛の肥育農家の認定など知恵を絞るが決め手を欠く。特産松阪牛がいてこその松阪牛。トップブランドを守る次の一手が急がれる。

(津支局長 岡本憲明)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 13:02 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
徳島の養殖うなぎ モリカン鰻
    「何も選ばない」生き方のすすめ

たまたま長田の市場で購入した時、非常に美味しかった。焼きも上手だったのだと思う。
うなぎは、強い火力の炭火で内部の小骨までしっかり焼きを入れると美味しいのだそう。
素材が良くても美味しく焼ける設備や職人がいなくなっているのだろう。
固形燃料やガス火を使うところばかりになってしまって・・、そうは言ってもそごうの地下で
備長炭を扱っているとは思えない。将来的にも難しい事なのかも知れない。

モリカン鰻を、通販とかふるさと納税できるといいのに・・・。松茂町と徳島市(そごう)の
ふるさと納税には見あたらなかった。残念。

モリカン鰻(有)
所在地: 〒771-0212 徳島県板野郡松茂町中喜来稲本157
電話: 088-699-2335
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92770-0831+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%B8%82%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E6%9C%AC%E7%94%BA%E8%A5%BF%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%95/@34.0734475,134.5495387,16z/data=!4m2!3m1!1s0x3553729fc2c1a2ef:0x403ae3299f2513fc

鰻のもり 大阪府八尾市北本町2-1-1 近鉄八尾駅 2F
https://tabelog.com/osaka/A2707/A270705/27006639/

そごう 徳島店 地階 惣菜・銘茶・佃煮 [うなぎ] ●モリカン鰻
徳島県徳島市寺島本町西1-5
https://www.sogo-seibu.jp/tokushima/kakutensublist/?article_seq=9615307

ネット上を探したが、あまりにも情報少なかったので、備忘録として残した。
この企業はゴルフ練習場(打ちっ放し)の経営者さんが副業で始められたのが
始まりだと聞いた気がする。

起業家(アントレプレナー entrepreneur)が人知れず努力されたのだと思う。
どのような方か知りたいが、本当に情報が少ない。もっと探してみるけどね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 13:57 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
岩手県「いくら」の名品 村木水産 3特
    「何も選ばない」生き方のすすめ

岩手県宮古市はサケのまち(鮭の町)ということらしい。宮古市の川に遡上する鮭が多くいたらしく、現在は天然のものがどれほど存在するのか知りませんが、そんな地域があることをはじめて知りました。現在は、大量の稚魚を放出して、4年から5年後に戻ってくる2%の鮭を漁業として成立できているようです。この商品は、震災の後、市場でみかけなくなっていたが、再建されたようです。このイクラは色や口当たりなども一級品だが、香りが秀逸です。他の地域の鮭で同様の加工をした場合にも、あの香りを作り出すことができるのか?(もしくは、この地域特有のシャケの香りなのか)それがとても知りたいです。





(株)村木水産
住所: 〒027-0021 岩手県宮古市藤原1丁目6−6
電話:0193-63-3210
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 22:38 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
システムエンジニアからミシュランガイド三ツ星へ
    「何も選ばない」生き方のすすめ


辻調グループ校 シェフズインタビュー

『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』オーナーシェフ 米田肇氏 Vol.1

2010年11月05日 by suyama

時代を走り続けるシェフたちが作りだすものは料理や菓子だけではありません。人をつくり、店をつくり、自分自身をつくり、何より、この世界そのものを創り出しています。
 2010年度の「シェフズインタビュー」はジャンルを超えて料理、菓子の話はもちろん、一人の”創る人”として、シェフの素顔に迫ります。

インタビュアー:辻調グループ校 校長・理事長 辻芳樹
第2回目ゲスト 『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』 オーナーシェフ 米田肇氏 Vol.1

【プロフィール】
1972年大阪府生まれ。近畿大学理工学部卒。
システムエンジニアとして2年間勤務した後、子供時代からの夢=料理人になる
をかなえるためにエコール辻大阪に入学。卒業後は、関西のフランス料理店で修行し、2002年に渡仏。現地の1つ星、2つ星店で働き、2005年に帰国、「ミシェルブラス トーヤ ジャポン」で部門シェフに就く。2008年5月に自店をオープン。
2009年、2010年とミシュラン三つ星を獲得する。

●小学生のときにTVで観た料理人に憧れて

辻:みなさん、おはようございます。2回目ですけれど緊張します。まず、業務連絡ですけれどこの場は日本対パラグアイ戦のパブリックビューではありませんので、もし、勘違いされている人がいれば出ていってください。
10時に戻ってきても誰もいないと思います。て、これは冗談ですよ。受けなかったなぁ。

(笑い)

 今日は少し変則的なスタートになります。インタビューを始める前に米田肇さんという方がいったいどういう料理を作るのかを皆さんにお見せしたいと思います。
米田さんは店をオープンされて2年近くになるのですが、今からお見せするのはあくまでもある季節に作られた彼の表現の一部です。少し長くなりますが、これからのインタビューにどうしても必要なことと感じたので見てください。


  
   

(校長による料理の説明):上の料理はその一部です

 さて、このような料理を作る人が実際どのような経験をしてきたのか、そしてどのような経歴の持ち主なのかを今から伺っていこうと思います。
 今日のインタビューの内容は前回と同様学生と職員からのさまざまな質問を集めた内容で、僕は彼らの代表としていろんなことを聞かせていただきたいと思います。
 まずは本当に今日はお忙しいところありがとうございます。あまり緊張なされないのですね?

米田:それほどはしません。

辻:大勢の前で話される機会とか、講演とかを依頼されたりとか、あるのですか?

米田:講演なども頼まれたりするのですが、休日も料理の研究とか経営のほうの業務とかも入っていますのでなかなか時間をとることができないのでお断りしているのが現状です。

辻:この数年間は仕事漬けということですね。

米田:そうですね。

辻:このシェフズインタビューを始めて6年になるのですが、一番最初のインタビューはどなただったか聞かれていますか?

米田:いや~、知らないですね。

辻:ミシェル・ブラスさんです。

米田:あっ!そうですか

辻:いろいろ大変でした(笑)。まず、現在、おいくつですか?

米田:1972年生まれの37才です。

辻:ご出身は?

米田:大阪です。

辻:ご家庭では美味しいものを食されてきた環境があったのですか?

米田:私の父親がセーターとかの製造をやっていたので、仕事で行ったヨーロッパなどから帰ってきたときにいろんな店に食事に連れていってもらったという記憶はあります。

辻:けっこうクリエーティヴな環境にいらっしゃったんですね。

米田:そうですね。

辻:料理の分野で何か子供の頃の印象とか、思い出に残っていることとかはありますか?

米田:その頃、フランス料理とよべるものは関西にはあまりなかったと思います。僕も小学生ぐらいでしたし、どちらかというと「洋食屋さんに少し毛が生えたぐらい」の店に連れていってもらうのが多かったように思います。ま、一応テーブルクロスが敷いてあって、ジャガイモのスープがあったような店の記憶があるのですが、そういう店で料理人の方がスープをテーブルに持ってくるんですね。その姿を目にして「おっ格好いい!」と思ったのは覚えています。

辻:料理の道に進もうと思ったきっかけは?

米田:きっかけは僕が小学生の頃にTVで料理対決のような番組があったと思います。日曜日の朝だったと思うのですが、そこである料理人の特集をしまして、その方がもともと車が好きでヨーロッパに渡ったんですが、なかなか就職口がない、でも、生活しなければいけないということでレストランの厨房に入って食器洗いをするうちに料理も覚え、その後、ニューヨークへわたってシェフをされているという内容でした。そして、成功されて、大きな家に住んで車もスポーツカーを所持しているという姿を観て、「これは格好いいな」って思ったのと先ほどお話しました洋食屋さんの料理人の姿が頭の中でリンクして、「あっ、これだ」と思ったのです。

辻:けっこう単純な動機ですね(笑)

米田:単純です(笑)。すごく単純なことです。

辻:でも料理人になろうとは思わなかったのですか?

米田:思ったんです。その時からずっと思っていましたが、結局回り道をしました。

辻:プロの料理人になろうと思ったけれどとりあえず大学に進学されたのですね。

米田:それはですね、小学校の頃から料理人になりたいということは言っていて中学校を終える頃に料理の専門学校へ行きたいと言ったわけですが、「とりあえず高校はいきなさい」と言われました。そして、高校卒業の頃にまた同じことを言うわけですが「行くのだったら自分で資金を稼いでいきなさい」と言われて、一度資料請求を
させていただいて、必要な金額を目にしたら、「これはとてもいけないな」と思ったわけです。で、専門学校へ行くのならお金を出してくれないけれど、大学へ行くのなら出してくれるということだったので大学へと進学した次第です。

辻:ちなみにどこの専門学校の資料をとりよせられたのですか?

米田:ここのです。

辻:あっ、うちの資料ですね(笑)で、それで料理人になるのは一度あきらめられた?

●「僕はほんとうに料理人になりたいのか?」を確かめる

米田:ま、大学に行くのもひとつの経験だろうということで進学したのです。大学では普通に勉強して、卒業するというときに将来的にどうしようかな、と思ったのですが、一応コンピューター関係のことを学んでいたのでそういった
知識が実社会でどのように生かされているかを見てみたいと思って就職することにしたのです。

辻:仕事は何をされていたのですか?

米田:コンピューターの設計です。今ならDVDや携帯電話の内側に入っている部品のメーカーで、90%以上の世界シェアを持っている会社でした。

辻:忙しかったですか?

米田:そうですね。ちょうどPHSから携帯電話に移行する時期でしたので本当に忙しかったです。

辻:15年ぐらい前ですね。景気はよかったのですか?

米田:ちょうどバブル経済が崩壊した直後でしたけれどコンピューター業界は非常にいい景気でしたね。

辻:あの頃のコンピューター関連の技術者は働きづめに働いてしましたし、時代の最先端だったと思いますが、そういう環境の中でも料理のほうへいきたいという気持ちはありました?

米田:それは会社に勤めて1ヶ月目に思っていました。そもそもその会社に決めたのも香港にも、ドイツにも、カリフォルニアにもあったんです。うちの父親がよく海外にも行っていましたし、自分も将来海外で仕事をしたいという思いがありました。で、なんで自分は海外で仕事したいのだろうと考えてみるとやはり小学校のときにTVで観たニューヨークで成功した料理人の姿があって、これはやはり料理をしたいから海外に行きたいと思っていることがわかって、入社1ヶ月ぐらいで自分は料理の世界に行くことを決めましたね。

辻:じゃあ、実際はどれぐらい勤めてられたのですか?

米田:2年ぐらいです。ただ、大学から会社というまったく新しい世界に入ったときに誰しも「これでよかったのだろうか」って自問自答すると思いますが、その時にすぐに辞めてしまうのは由としませんでした。
 会社に入って、新しい友人たちもできて、仕事の知識も増えて、給料も増えていく目安もでき、安定感も得たときに同じ選択をするかどうかを見て、決めたかったのです。

辻:それには2年間かかったのですね?

米田:その期間を決めた根拠はここの(辻調グループ校の)入学金の3倍を貯金できた時、という風に決めていたのです。というのはそれぐらいの貯金額があればきっとそれなりに余裕のある生活をしていて、ひょっとしたらこの仕事を続けていてもいいのではないかなと思っているかも知れない、って考えていたんです。

photo:DPP_0052

辻:この仕事というのは?

米田:コンピューター関係の仕事ですね。結局、きちんと仕事をしていないのにも関わらずその仕事の全貌を知っているように思うのは間違いだと思っていました。きちんと仕事をしたうえで決めようと思っていたんです。

辻:すごい堅い性格ですね。ではお勤めを始められて1ヶ月目で料理人になろうという夢を持たれて、残りの2年間ずぅっとその夢を持ち続けるわけですよね。その夢というのは料理人になるということだったのですか、それとも料理を通じて自分の店を持ちたいという風なものだったのですか?

米田:オーナーシェフとして自分の店を持って、自分の料理を発信していくという考えはそのときには持っていました。

辻:で、資金を貯められて学校に入学されたわけですね。その頃からフランス料理と決めていたのですか?

米田:それは小学校のときに料理人にあこがれたときに思っていました。

辻:それで“エコール辻”に入学されたのですね?

米田:そうです。
(http://blog.tsuji.ac.jp/pickup/archives/514)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 13:44 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
アランシャペルの人物について
    「何も選ばない」生き方のすすめ

アラン・シャペル Alain Chapel(1937~1990)

Googleでアランシャペルと検索しても、
神戸のポートピアホテルに2012年まで存在した
レストランのことばかり上位表示されてしまう。

Google様のロボットが、人間性とか
もっと言えば、ホームページの背景にある信頼性や
誠実さを表示順位に反映できる日は来るの
だろうか?。デジタルの向こう側で行われている
アナログでリアルな商売の実態。本当に真面目な
ショッピングサイトを検索ユーザーの動向から
あぶりだして、上位表示してくれる時代が来たら、
売り手も、買い手も幸せになるだろう。

本題です。アランシャペルさんが素晴らしい人物で
ある・・・ということが、このエピソードを読んで
いただければご理解いただけると思います。

西原金蔵さんが、このように師を語ることも
胸を打ちますね。




以下は引用です・・・

「キンゾー、食事の最後に椅子から転げ落ちるようなデザートをつくれ」と、
シャペル氏が繰り返した言葉を胸に、西原さんは厨房に立つ。

【シャペル氏に同行 世界中を回る、味覚のレッスン】
ミヨネーの本店時代の2年間はシャペル氏に同行し世界中をつれて歩いていただきました。その時に味を教えてもらったのかなあと思いますね。味覚をどう磨くかということを。

・・・色んなところに招待されて行くんですが、その時は、肉のシェフと、魚のシェフと、ガロマンジェというオードブル関係のシェフと、デザートのシェフという担当者が決まっていて同行する。私も曲がりなりにも、シェフという形で向こうに行ったもんですから、何かあるとデザートのシェフとして同行させていただいていた。ですから、条件の何も分からない所に行って、そこで、アランシャペルの料理を再現するということをしていたんです。

そうやっていろんなところに招待されていくと、そこでシャペルさんに出される料理というのは普通のものではないんです。そのレストランの最高とするものがムッシュ・シャペルに出されるんです。われわれは、同行しておるのですから、同じように食べさせていただくんです。
するとシャペルさんに「金蔵、これはすばらしいよ。」「これは普通じゃ食べれないよ。」なんて教えていただくんです。「・・・このコショウの香りを覚えておきなさい。」とか「・・・今香りが出て来た、・・・次にこんな香りが来た・・・、今香りが無くなった・・・」というようなことを真横で教えてくれた。
「今香りが出てきた」とか言われると探るじゃないですか、口の中で・・・。「あっ、このことを言ってるんだ。」とわかる。そういうことを重ねてもらえたことがすごくいい経験になっている。味覚のレッスンを受けさせていただいた。

味というものはどうあるべきか、料理というものはどうあるべきか・・・。三ツ星クラスのランク付けのレストランであるアランシャペルで出される料理というのは当然のことながら高価です。普段日常で食べる料理とは違う。ということは、そこで出される料理というのは、それだけの価値を持って、お客様を満足させれるものでないといけない。

・・・・そういう場所で色んな体験をさせていただけたこと、シャペルさんに出会えたこと、ほんとに恵まれていますね。


【イメージ・想像から作り出されるお菓子】
アラン・シャペル氏には、「私が買ってくる最高の素材を使い、お前の最高の技術で最高にうまいものを作ってほしい。」「いすから転げ落ちるようなものを作れ。」と言われました。
だから、日夜、彼がうまいというものを、ああでもない、こうでもない、といって作っていくわけです。
そこにはシャペルさんの思いがいっぱいある。思い出もある。

ある日シャペルさんが「金蔵、今度こんなお客様が来られるんだ。私はこういった料理を出す。どんなデザートを作ってくれる?」というんです。はじめは、即答を出来なかった。
すると「私は、ブラジルに行った時に、牛乳を煮詰めたもの・・・コンフィ・チュ・ドゥレというのを食べてすごくおいしかった。もしかしたらこれでアイスクリームを作ったらおいしいかもしれないなあ・・・」という風にヒントをくれるんです。思い出を語ってくれるんです。
「この料理にはこれが合うと思う。金蔵はその横にどんなものを添えたらいいと思う?」といった感じで常にディスカッションしていました。その上で、「アイスクリームはもっと軽くて何かの香りがするものだ・・・」とかいう感じで言ってくれる。

だから配合なんて一切無い。全てがイメージでしか伝わってこない。私はそのイメージを捕らえ自分の中で想像する。「コンフィ・チュ・ドゥレってどんな味なんだろう・・・・牛乳を煮詰めて・・・・こんな味なんだろうか・・」という感じで自分の中で味を想像するんです。そしてイメージを膨らませてその状態ですぐにラボ(お菓子の厨房)に戻ってひたすら試作を重ねる。作っては、シャペルさんのところに持っていって食べてもらう。
「こうなのか」「ああなのか」って聞いてみると、「こうじゃないだろう・・・こんな感じだろう。」と又彼のイメージを聞いてそして作る。

そうやって彼のイメージどおりのものが出来たときには「これだ!」といってそこいらじゅうの人を呼んで「金蔵はこんなうまいものを作った!次のこの方にはこれを出す!」と言ってくれる。シャペルさんという人は、人の持つ可能性をものすごく引っ張り出してくる。はじめの段階では、全てイメージを与えてくれたにもかかわらず、出来上がったら、「これは、金蔵が全部作ったんだ!これを出せばあのお客様は絶対に満足する!」っていって自分がイメージを与えたなんてことは一切言わない。

私は、錯覚を覚えることがあった。イメージを与えられて出来上がったにもかかわらず、自分にこんなことが出来るんだ!、みたいなね。もちろん、基本とする配合と基本とする作り方は大切です。だけれども、それを超えた、より想像を深めたものを作り出すには、配合はいらない。

厳選パティシエじゅずつなぎ
http://www.e-sakon.co.jp/cakeshop-intro20.htm
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 10:59 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
うまい牛肉の備忘録
    「何も選ばない」生き方のすすめ

伊賀牛 ★★★★★

個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
1253464137 H 21.06.18 メス 1180862143 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 岐阜県 出生 H 21.06.18 高山市 中江 茂廣
2 岐阜県 転出 H 22.03.08 高山市 中江 茂廣
3 岐阜県 搬入 H 22.03.08 高山市 全農岐阜県本部飛騨家畜流通センター
4 岐阜県 取引 H 22.03.08 高山市 全農岐阜県本部飛騨家畜流通センター
5 三重県 転入 H 22.03.09 伊賀市 にしそわ牧場
6 三重県 転出 H 23.12.20 伊賀市 にしそわ牧場
7 三重県 搬入 H 23.12.20 四日市市 四日市市食肉センター
8 三重県 と畜 H 23.12.20 四日市市 四日市市食肉センター



個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
1249607609 H 21.03.27 メス 1175593892 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 北海道 出生 H 21.03.27 伊達市 斉藤 周一
2 北海道 転出 H 22.02.03 伊達市 斉藤 周一
3 北海道 搬入 H 22.02.03 勇払郡安平町 ホクレン南北海道家畜市場
4 北海道 取引 H 22.02.03 勇払郡安平町 ホクレン南北海道家畜市場
5 三重県 転入 H 22.02.06 伊賀市 藪中 憲行
6 三重県 転出 H 23.12.14 伊賀市 藪中 憲行
7 三重県 搬入 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター
8 三重県 と畜 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター



個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
0437900751 H 21.03.24 メス 0240404668 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 北海道 出生 H 21.03.24 瀬棚郡今金町 境田 哲哉
2 北海道 転出 H 22.02.04 瀬棚郡今金町 境田 哲哉
3 北海道 搬入 H 22.02.04 勇払郡安平町 ホクレン南北海道家畜市場
4 北海道 取引 H 22.02.04 勇払郡安平町 ホクレン南北海道家畜市場
5 三重県 転入 H 22.02.06 伊賀市 藪中 憲行
6 三重県 転出 H 23.12.14 伊賀市 藪中 憲行
7 三重県 搬入 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター
8 三重県 と畜 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター



個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
0246076326 H 21.06.13 メス 0831504364 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 岩手県 出生 H 21.06.13 紫波郡紫波町 佐藤 一男
2 岩手県 転出 H 22.03.17 紫波郡紫波町 佐藤 一男
3 岩手県 搬入 H 22.03.17 岩手郡雫石町 全農岩手県本部中央家畜市場
4 岩手県 取引 H 22.03.17 岩手郡雫石町 全農岩手県本部中央家畜市場
5 三重県 転入 H 22.03.20 伊賀市 今井 由輝
6 三重県 転出 H 23.12.14 伊賀市 今井 由輝
7 三重県 搬入 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター
8 三重県 と畜 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター



個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
0846600723 H 21.05.26 メス 1195338794 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 岩手県 出生 H 21.05.26 八幡平市 田村 忠彦
2 岩手県 転出 H 22.03.19 八幡平市 田村 忠彦
3 岩手県 搬入 H 22.03.19 岩手郡雫石町 全農岩手県本部中央家畜市場
4 岩手県 取引 H 22.03.19 岩手郡雫石町 全農岩手県本部中央家畜市場
5 三重県 転入 H 22.03.20 伊賀市 今井 由輝
6 三重県 転出 H 23.12.14 伊賀市 今井 由輝
7 三重県 搬入 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター
8 三重県 と畜 H 23.12.14 伊賀市 伊賀食肉センター







松坂牛 ★★★☆☆

個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
0838807758 H 21.01.08 メス 1067700018 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 宮崎県 出生 H 21.01.08 宮崎市 池尻 逸男
2 宮崎県 転出 H 21.10.10 宮崎市 池尻 逸男
3 宮崎県 搬入 H 21.10.10 宮崎市 宮崎中央農業協同組合家畜市場(宮崎中央農協畜産部)
4 宮崎県 取引 H 21.10.10 宮崎市 宮崎中央農業協同組合家畜市場(宮崎中央農協畜産部)
5 三重県 転入 H 21.10.14 津市 (株)堀坂 堀坂牧場
6 三重県 転出 H 23.07.07 津市 (株)堀坂 堀坂牧場
7 三重県 搬入 H 23.07.08 松阪市 三重県松阪食肉流通センター
8 三重県 と畜 H 23.07.08 松阪市 三重県松阪食肉流通センター



個体識別番号 出生の年月日 雌雄の別 母牛の個体識別番号 種別(品種)
0247935530 H 20.08.11 メス 1136569072 黒毛和種

飼養県 異動内容 異動年月日 飼養施設所在地 氏名または名称
1 宮崎県 出生 H 20.08.11 延岡市 山田 廣美
2 宮崎県 転出 H 21.07.28 延岡市 山田 廣美
3 宮崎県 搬入 H 21.07.28 延岡市 延岡家畜市場(東臼杵郡市畜産農業協同組合連合会)
4 宮崎県 取引 H 21.07.28 延岡市 延岡家畜市場(東臼杵郡市畜産農業協同組合連合会)
5 三重県 転入 H 21.07.28
6 三重県 搬入 H 23.07.08 松阪市 三重県松阪食肉流通センター
7 三重県 と畜 H 23.07.08 松阪市 三重県松阪食肉流通センター




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 22:58 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::グルメ |
このページの先頭へ
CALENDAR
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   
<<前月 2019/10 次月>>
ARCHIVES
LOGIN
現在のモード: ゲストモード
USER ID:
PASS:
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
SKIN BY
ゲットネット...¥
OTHERS


このページの先頭へ