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名字帯刀
当家のルーツを、ユニフォーム姿三四郎の知る限り、子供のために記述
しておく。

ユニフォーム姿三四郎の母の父方の先祖は、古くは御影石で有名な
地域で『石工』であったとされる。その後、名字帯刀を許された
「郷士」であり、後に土木会社を経営していた。確かに昭和の50年代
までは、日本刀が残っていた。祖母は、怖い・怖いと言って、祖父が
亡くなったあと、古物商を家に呼んで、その日本刀を売ってしまった
のを覚えている。

母の母方の祖先は、大阪の天満の天神さんの近くで商家(乾物商)
を営んでいた。祖母は、「こいさん」と呼ばれ、町で一人だけ女学校に
通ったほど、金銭的にも恵まれていたらしい。この祖母の次女(叔母)
は東映の女優として数年間活躍、田中絹代・美空ひばりや大川橋蔵
・高倉健などと競演。後に、アメリカに渡り、クロアチア人教師と結婚。
男子を儲けたが夫と死別。現在も、永住権を得て、N・Yに在住。
(2006.11現在)

父方は治暦3年に、今の宮城県仙台の近くの豪族の次男が、神仏に
帰依して、山陰地方の小さな神社の宮司となった。宮司は先祖代々
現在も続けている。真偽は定かではないが、系図が残っているので、
ある程度の確証は得られるだろう。仙台の豪族は後に滅ぼされた
ようだが、藤原氏の系統として残り、仙台藩の御家人として明治維新
まで仕えたようだ。横浜にその子孫がおり、連絡が来たことがあった。

ユニフォーム姿三四郎が西行を愛し、高校・大学で傾倒したのも、この
ような1000年前からの血脈が導いているのかもしれない。但し、
明治期に本家は日露戦争で男子が戦死、血筋が途絶え、養子・幼女
を迎えている。小さな村だったので、なんらかの血縁をもとに、
養子を迎えたと考えて、さしつかえ無いだろう。

また、この系統の曽祖父は、東京に出奔して、新橋演舞場の始祖と
言われる芸能人となった。

ユニフォーム姿三四郎の、父親は東北地方の新聞社に定年まで勤務。
退職時の肩書きは、大阪支社長であった。





苗字帯刀(みょうじたいとう)は、江戸時代の武士の身分表象。

本姓(源平藤橘等)を持ち、家名の中でも特に領知の名前に由来し領主階級であることを示す苗字を公称し、打刀と脇差の2本の刀を腰に帯びること。これによって領主階級であり、また武芸の家の者であることを示した。

なお、武士以外にも刀の所持そのものが禁止されたわけではなく、さらに装束としては脇差1本のみを腰に帯びることは武士でなくとも認められており、武士以外の苗字帯刀禁止によって百姓や町人などが完全に武装解除されたわけではない。また、百姓、町人などは表向きは苗字を持たないことになっていたが、実際には江戸時代以前から伝えられた名字を私称していたケースが多々見受けられる。苗字公称が認められる場合と、苗字の私称の違いは、本姓の有無にある。

また大名などは、しばしば家柄や功労により領内の有力百姓や町人などにこれを許して、武士に準ずる者として扱った。 実際、村役人層などは百姓身分ながらも名字あるいは苗字帯刀を許される場合が多く、なかには郷士として遇されるものもいたのである。
【ウィキペディア(Wikipedia)より】



治暦(じりゃく)は、日本の元号の一つ。康平の後、延久の前。1065年から1068年までの期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇、後三条天皇。
【ウィキペディア(Wikipedia)より】


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