日仏交流の歴史 最初に来日したフランス人「宣教師クルテ」
    「何も選ばない」生き方のすすめ

小学生の娘に「フランスと日本のつながり」をまとめる
宿題が出された。子供がインターネットで調べていたが、
まとまったページが見つからない・・・困っていたので、
手伝ってあげようと思って検索してみた。

「フランス 日本 つながり」
「来日 最初 フランス人」
「日仏交流 歴史」

Yahooの知恵袋に以下のような回答があって、小学生の
宿題の答えとしては、まとまっていて、非常に助かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フランスからは主にぶどう酒やブランド物の装身具、
バックなどを輸入しております。
核廃棄物の処理もフランスに頼んでいました。
日本はボージョレヌーヴォーの世界最大の消費国です。
EUとして航空機エアバスの輸入もしています。
心臓病などに使う循環器系の医薬品も殆どがフランス製です。
日本からは原付バイク、自動車、家電などを輸出しています。
また、日本から年間60万人もの人がフランスへ旅行へ出かけています。
日仏間の貿易は、あまり盛んではなく経済的な結びつきは弱いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宿題については一件落着したのだが、思わぬページを
見つけてしまって、探求心が生まれた。


外務省「日仏交流の歴史 パリ万国博と ジャポニスム」


この中に西暦1637年に初めて来日したフランス人と
して、「ドミニコ会司祭ギヨーム・クルテが九州上陸」
とあるのを見つけた。江戸時代のことでもあるし、
司馬遼太郎さんの書籍で紹介されていた殉職者のシドチ
のことも気になっていたので、宣教師クルテが
どのように扱われたのかが心配になった。

歴史のなかの邂逅②-司馬遼太郎 シドチ
http://www.isagiyoi.com/m200709.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
聖ギョーム・クルテ司祭
 ギョーム・クルテは、フランスのモンペリエで、一五九〇年に生まれ、一六〇七年、アルビのドミニコ会に入会し、トゥルーズで神学を学びました。司祭叙階後は、サン・マキシマン王立修道院の神学講師となり、一六二四年アビニオン修道院院長となってからは、修道院の改革に力を入れています。
 その後、マドリッドに移り、五年間滞在しましたが、その高潔な人柄で、指導司祭として多くの人々に慕われていました。一六三五年マニラに到着しましたが、マニラでもその人柄ゆえに、トマス学院の神学教授に迎えられ、多くの人を指導しました。クルテ神父は自分に厳しく、人には優しく、回心する人は特別に慰めを感じたといわれています。
 一六三六年、日本宣教にはやる心でマニラを出発したのでしたが、日本到着と同時に逮捕され翌三七年、長崎に移されました。拷問にも耐え、死刑の宣告文をつけられて、市内を引きまわされた後、穴吊りの刑を受け、祈りながら三日間耐えていました。狩りに行く前の奉行が刑の執行を急ぎ、斬首を命じ、こうして九月二十九日、クルテ神父は神のもとにかえりました。
(http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/library/book/tomanishi/tomanishi.htm)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じ頃、琉球で逮捕されたスペイン人の宣教師2名とともに
拷問を受けた。そのうちの一人は、数日前に獄死。
残った2人も市内を引きまわされた後、穴吊りの刑を受け、
奉行の一言で斬首。

この頃、長崎は幕府直轄地(天領)だったようだ。
仕事とは言え、この奉行は躊躇無く外国人を死刑に
している。直前の1610年頃に琉球に薩摩藩が侵攻して
島津氏に支配されていたことも災いした。琉球王朝の
ままであったなら、琉球で逮捕されていなかったかも
知れない。

歴史を深く読みあさっていると、当時の島津家っていうのは、
ろくなもんじゃないな。子孫の方にどのような人格が
引き継がれているのだろうか。琉球王朝の子孫は、
廃藩置県で東京に移されて、侯爵として扱われ、
現在も安泰だそうだが、島津家のことを、どう思われて
おられるか・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
島津氏第32代当主 島津修久さん
妻の伊津子は西郷隆盛の曾孫(午次郎の長男隆一の娘)で、結婚式の仲人は大久保利通の嫡孫・大久保利謙が務めた。嫡男は島津忠裕。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E4%BF%AE%E4%B9%85)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

島津修久さんは、好々爺に見えますね。次のご当主は、
西郷さんとの血脈も受け継がれて、明治維新の象徴
のようですね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 19:43 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::読書 |
outlook 0x800CCC13 0x800CCC0F 送信だけ エラー
    「何も選ばない」生き方のすすめ

エラー番号 : 0x800CCC13

このブログでユニフォーム姿三四郎が、何度もお伝え
していますが、Outlookでのトラブルが増えている。

今回のトラブルは、非常に根が深く、結局、原因が
判明しなかった。

・突然、送信だけできなくなった 0x800CCC13
・非常に送信に時間がかかるようになった
・特定の送信サーバーを利用した場合のみ
 (ドメインが別のメールアカウントは正常に送信できる)
・同じネットワーク環境の他のPCでは正常
・ルータや、CATVモデムの電源を入れ直したがダメ
・メールサーバーに未受信のメールが残っていないことを確認

いろいろなトラブルシューティングをしてみたが、
解決しない。タイムアウトを短くしたらエラー表示が
0x800CCC0Fに変わるだけで、ほとんど現象も変わらない。

決定的な解決策・・・にはならないが、今後、同じような
トラブルになった場合には、すぐ最初に以下の作業を
するべきだ。特にoutlookの場合。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

送信トレイを空っぽにする。

送ろうと思っていたメールを送信トレイから、全てを
一旦捨てて、ゼロから再作成して、送信してみる。


添付ファイルが無くとも、テキストだけの巨大な
メールはトラブルの種になる可能性が高い。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


以上をおこなったら、嘘のように送信できた。
何か、不安定な際に、作成した送信メールが
送信トレイに残っていると、送信できない
ようだ。ウイルスソフトとの連携に問題が
出ているのかも知れない・・・・。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








| ユニフォーム姿三四郎 | 11:04 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎::outlook |
このページの先頭へ
CALENDAR
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30   
<<前月 2010/09 次月>>
LOGIN
現在のモード: ゲストモード
USER ID:
PASS:
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
SKIN BY
ゲットネット...¥
OTHERS


このページの先頭へ