NEW ENTRIES
COMMENTS

「何も選ばない」生き方のすすめ
    「何も選ばない」生き方のすすめ

経済的に満たされて、自由な時間も十分にある。子供と
過ごす時間も多い。なのに、すっきりしないのだけど、以下の
説明を読んでいると少し光明が見えてくるような気がする。

今日、子供がもし亡くなったとしたら、どんなことをしても
会いたいと思うに違いない。数年前亡くなった母のことも
同じように思う。今、現実として、実際に子供が目の前に
いる。これだけで本当に幸せなことなのだと感じた。

  植島:まず、「死んだらしょうがない」という態度です。
  自分の死後の家族について考えたとしても、本当の
  ところは自分が死んだ後はどうでもいいことだし、
  どうしようもない、と。


  「どうでもいい」というのが無責任に聞こえるとしたら、
  それは死んだ後のことまで強迫されているからでしょう。
  「死んだら終わり」または「死んだら(根拠なく)幸せに
  なれる」というのはむしろ好ましい考え方かもしれません。


こういう考え方が広まれば、悩んでいる人も少しは楽に
なるように思える。もともと、その悩みはぜいたくなこと
だと解っているのだけど・・・。


--世界の地域や民族により死への思いは様々だと思いますが、海外で接した印象的な死生観はありますか?

植島:まず、「死んだらしょうがない」という態度です。自分の死後の家族について考えたとしても、本当のところは自分が死んだ後はどうでもいいことだし、どうしようもない、と。


 「どうでもいい」というのが無責任に聞こえるとしたら、それは死んだ後のことまで強迫されているからでしょう。「死んだら終わり」または「死んだら(根拠なく)幸せになれる」というのはむしろ好ましい考え方かもしれません。

--せめて生きている間は、自由を謳歌し、人生をコントロールしたい。そういう考えから、現代人は責任と選択を非常に重視しているように思います。

植島:ええ。一方で、アジア、アフリカ諸国の人々の暮らしぶりを見て思うのは、「普段の生活に選択の余地などない」ということです。もちろん頭の中でやりたいことを想像することは可能ですよ。そういう意味ではなく、1日のうち15時間くらいは、畑仕事とか水汲みだとか確実にやらないといけない仕事が決まっています。そういう社会を生きる人には選択の余地がない。その代わり、心は不思議にゆったりしている。

 私たちの暮らす社会は、朝起きたときからいろいろな“選択”の可能性があります。会社勤めでも、様々な判断事項が自分の身に降り掛かってくるし、私生活でも「いつ誰とデートしよう」とかあれこれ考えられます。

 選択の余地があり過ぎることが幸せにつながるかは疑問です。たしかに、生きる上で“自由”は何より重要です。でも、社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘した通り、自由だと余計にしんどさを抱え込まないといけなくなる。そうなると選択することに対する処方箋が必要になります。



以下は引用(全文) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ストレス対処への新たな視点、宗教人類学--植島啓司氏(前編)

米国に端を発した金融危機、日々口にするような食べ物の汚染発覚など、いまや「不安」が常態となっている。

 不安な時代が叫ばれるほど、その裏返しに「こうすれば確実に成功を得られますよ」といった、生き方やノウハウの話がもてはやされる。思えば、家庭や学校で教えられた「自分の頭で考え、決断できる人になりましょう」といったこともノウハウの1つでしかなかった。

 ある程度の年齢を重ねれば、そんな法則が当てはまらない多くの例外を目にするが、むしろ例外の方が主流なのではと思えてくる。

 世の中、思いどおりに行くことのほうが珍しい。努力して成功したが、健康を害した。財産を失ったが、愛する人と巡り会えた……。手に入れるとは失うことであり、その逆も真だと思えることが多い。すべてが偶然ならば、自分の意志で成し遂げられることは、そう多くはないのではないか。

 そもそも人は、いつ死ぬかは分からない。だが、“老い”や“病”を得て“死ぬ”という不確実でありながら明瞭なルールに支配されている。その中でさいころを振りながらも、何かを選択して生きてきたのが人間である。




植島啓司(うえしま・けいじ) 宗教人類学者。東京大学卒。東京大学大学院人文科学研究科(宗教人類学専攻)博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデのもとで研究を続ける。NYニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授、人間総合科学大学教授などを歴任。著書『男が女になる病気』(朝日出版社、集英社)『分裂病者のダンスパーティ』(リブロポート)『宗教学講義』(筑摩書房)『天使のささやき』(人文書院)『聖地の想像力』(集英社)『快楽は悪か』(朝日新聞社)、『偶然のチカラ』(集英社)、『賭ける魂』(講談社)ほか多数。翻訳『生命の樹』(平凡社)『メディア・セックス』(リブロポート、集英社)など。

 そして、古来より、こうした生に伴うストレスを扱ってきたのは宗教だった。

 宗教人類学者の植島啓司さんはここ40年間、1年のうち200日を旅し、世界中の聖地とカジノを巡ってきた。1回限りの奇蹟の起きた場所である「聖地」。偶然か必然かという根源的な問いかけが芽生える「賭け」。この、奇蹟という1回限りの必然の出来事と、賭けにおける運やツキといった偶然は、不確実でストレスを生き抜く上で大いに参考になる対象ではないか。

 “一寸先は闇”の生をやり過ごす心構えとは何か、植島さんに聞いた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆                     ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








--植島先生は年間200日くらい海外を旅しているそうですが、観光地を巡る“ツーリスト”とあてもなく放浪する“トラベラー”では、見える風景は違うと思います。2つの違いを意識することはありますか?

植島:観光だと「どこに行って何を見て、いつまでに帰ってくる」という行程が決まっています。翻って旅は決まった場所に行くのではなく、人と会うこと自体が目的であり、すべてが偶然の出会いに委ねられています。それが観光との違いですね。


植島啓司(うえしま・けいじ) 宗教人類学者。東京大学卒。東京大学大学院人文科学研究科(宗教人類学専攻)博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデのもとで研究を続ける。NYニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授、人間総合科学大学教授などを歴任。著書『男が女になる病気』(朝日出版社、集英社)『分裂病者のダンスパーティ』(リブロポート)『宗教学講義』(筑摩書房)『天使のささやき』(人文書院)『聖地の想像力』(集英社)『快楽は悪か』(朝日新聞社)、『偶然のチカラ』(集英社)、『賭ける魂』(講談社)ほか多数。翻訳『生命の樹』(平凡社)『メディア・セックス』(リブロポート、集英社)など。
 予定の決まっている観光客は、どこかへ向かう途中でバスが故障したら焦るわけです。偶然を楽しめるかどうかは、どこまで日常の予定から離れられるかに関わってきます。


“脅迫”で動いている社会

--普段の生活で私たちは、高度に情報化された社会の恩恵を存分に味わっています。しかし、同時に物事が予定通りに運ぶかどうかはストレスの大きな要因にもなっています。情報化が進むほど、偶然を許さない傾向が強まっているように思います。

植島:この40年間で100か国以上を旅してきましたが、日本ほどいつも何かに強迫されている国はありませんね。世界有数のストレス社会であることは間違いありません。

 時間の遅延を許す感覚がなく、何事も予定通りに行わなければならないと思い込んでいる。だから、進学でいうと子を私立に行かせなければならないと思い込み、病気になったらどうしようかと悩み、来年はこの仕事を続けていられるだろうかと不安になる。いつも何かに強迫されている。

 電車がオーバーランしたくらいで新聞記事になる国は、ヨーロッパやアフリカ、アジアでもありません。だいたい電車なんて時間通り来ないことが当たり前です。

--日本の電車では、強風で遅れたときも、車掌が「申し訳ありません」とアナウンスします。自然現象すら認められないようです。それにしても時間という単位は、人間の作り出したものです。人為を絶対死守しなくてはならないという強迫的な風潮は、なぜ、もたらされたのでしょうか?

植島:オブセッション(強迫観念)が社会の原動力だからです。一般に高度資本主義社会の発信するメッセージは「あなたには何か不足していますよ」というものです。「自分は満足している」と思っていても、「いいえ、このテレビを買わないと迫力あるワールドカップは味わえませんよ」とか「もっと健康になりたいならこういう治療が必要です」といった具合に、「いつも何かが欠けている」という強迫観念で社会を動かそうとする。


保険にはぜったい入らない

--資本主義を導入している国はたくさんありながら、とりわけ日本はなぜこれほどまでストレスを強いる社会になったのでしょう?

植島:おそらく「何事もおろそかにしたくない」という日本人の几帳面な特性と資本主義の精神とが合致しすぎた結果ではないかと思っています。

 几帳面であるとは、すべてに理由を求めることにつながります。そこでは偶然さや曖昧さが許されません。必ず原因を求め、何かに責任を負わせないと満足できないのです。

--きちんとした因果関係を求めるのは、自然なことではありませんか?

植島:いえ、因果関係の追求が論理的でない場合や、執拗に行われる場合もあります。たとえば、我が子が車に轢かれたとします。「相手がよそ見していた」とか「スピードを出し過ぎだった」という理由で被害者の家族が相手を責めることはいくらでも可能です。

 しかし、「なぜ他の子ではなく、よりによって我が子が轢かれたのか」という根源的な問いに答えはありません。

--真摯に因果関係を追求すればするほど「なぜ」という問いの答えはわからなくなるというわけですか?

植島:基本的に人間は理由を欲しがる生き物です。自分の不幸の原因を知りたがる。明治以前の日本の社会であれば、「この世で起こっていることはすべて神さまの思し召し」という了解がありました。生は私たちの認識している範囲で完了しておらず、社会の外側にある“何かわからないもの”との兼ね合いで成り立っている。そういう信仰がありました。むろん前世の因縁を都合よく持ち出す人もいたから、その善し悪しはあったでしょうけれど。

 ところが、近代に入るとそうした兼ね合いが削ぎ落とされ、社会の中だけですべての問題を解決できるし、しなければならないと思うようになった。

--つまり、因果関係が非常に単純化され、原因は追求すれば明確になる。そういう新たな考えを信じるようになったわけですね。しかし、現実は常に「一寸先は闇」です。

植島:私たちは、これから自分の身に起こることが何か分からない。しかも、近代以前のような説明体系がないから、不安でしょうがなくなります。だから現代の日本人は不安を補填するために保険に入るしかない。日本人の保険に入る率は他の国と比べても異常に高い。

 私は絶対に入りませんけどね。大手の生命保険会社が保険金の不払いで訴えられたけれど、「それ見たことか」と思いますよ(笑)。生命保険は、人の抱いている強迫観念と連動していて、恐れがあるから加入する。でも、保険が効率よく機能しているかどうかは別問題です。

 実際、30万件を超える不払いが暴露されて、大手生命保険会社はようやく謝罪しました。裏を返せば、これまでものすごい量の苦情やクレームがあったのに握り潰してきたわけでしょう。まともに契約していても支払われていないケースが圧倒的に多かったはずです。


どこまでも選択しない生き方

--死への不安が悪用されたわけですね。世界の地域や民族により死への思いは様々だと思いますが、海外で接した印象的な死生観はありますか?

植島:まず、「死んだらしょうがない」という態度です。自分の死後の家族について考えたとしても、本当のところは自分が死んだ後はどうでもいいことだし、どうしようもない、と。


 「どうでもいい」というのが無責任に聞こえるとしたら、それは死んだ後のことまで強迫されているからでしょう。「死んだら終わり」または「死んだら(根拠なく)幸せになれる」というのはむしろ好ましい考え方かもしれません。

--せめて生きている間は、自由を謳歌し、人生をコントロールしたい。そういう考えから、現代人は責任と選択を非常に重視しているように思います。

植島:ええ。一方で、アジア、アフリカ諸国の人々の暮らしぶりを見て思うのは、「普段の生活に選択の余地などない」ということです。もちろん頭の中でやりたいことを想像することは可能ですよ。そういう意味ではなく、1日のうち15時間くらいは、畑仕事とか水汲みだとか確実にやらないといけない仕事が決まっています。そういう社会を生きる人には選択の余地がない。その代わり、心は不思議にゆったりしている。

 私たちの暮らす社会は、朝起きたときからいろいろな“選択”の可能性があります。会社勤めでも、様々な判断事項が自分の身に降り掛かってくるし、私生活でも「いつ誰とデートしよう」とかあれこれ考えられます。

 選択の余地があり過ぎることが幸せにつながるかは疑問です。たしかに、生きる上で“自由”は何より重要です。でも、社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘した通り、自由だと余計にしんどさを抱え込まないといけなくなる。そうなると選択することに対する処方箋が必要になります。

 近代を説明する上で格好な例は恋愛小説でしょう。主人公の前に2人の女の子がいて、どちらかを選ばないといけない。たとえば、妻と愛人、恋人とその友人など、あいだにはさまれて主人公はものすごく苦しい思いをする。近代小説はこのテーマがほとんどです。

 選択することが可能になると同時に、精神的な悩みも増幅されることになる。私はもし選択しないことが可能なら、どこまでも選択しない生き方を追求したらどうかと思っています。


風に揺られるように生きるほかない

--積極的に選択しないということですか。でも、何かを選ぶ意志なしに物事は進展しますか?

植島:そもそも意志というのはそんなに当てにならないし、選択に合理的な判断などありえません。自分の選択が正しかったかどうかは、決して自分で確かめることはできないのですから。

 それより「いい加減に生きる」ことができたらずいぶん楽になるだろうというのは、旅を経験して思うことです。人生にはどんなに苦しんでも理性では解決できないことがたくさんあるんです。


先日も旅先のエチオピアでテロが起こりました。検査にひとり1時間以上かけるから飛行機の出発が遅れる。会議に遅れそうなビジネスマンはイライラするかもしれない。けれど、同じ状況でもテロに遭わずラッキーだったと思える人もいる。何事も考え方次第なんですね。

 この世に自分の思う通りになることはそう多くないのだから、逆らったり突っ張ったりしないで、風に揺られるように生きる他ないと思うんですけどね。

--起きたことは起きたこと。そう受けとめると、ストレスにもうまく対処できるでしょうか?

植島:気まま風の向くままで、そのとき起きた出来事に応じることでストレスに対処する。それが大事な姿勢だと思います。

 たとえば、精神科医や介護士は仕事上、患者や相談者から、「あなただからこの話をする」という重い内容を聞かされます。そのときのストレスにどう対処するか。プロが口を揃えて言うのは、相手が病室や事務所を去った瞬間、その話をすべて忘れるのが仕事を続ける秘訣だということです。

 一見、薄情そうに聞こえますが、次に会ったときは、またその人に関する記憶がパッとつながるから、蔑ろにするのとは違います。

 彼らは日々、何十人と会っているから、特定の人に関する印象を断ち切っていかないと他の人と話ができない。瞬間で関係を断ち切れるから、すごく深刻な話をした人が部屋から出ていった後でも、次の人にすぐ明るい話を切り出せる。


山積課題はいちばん簡単なものから

--なるほど。「いい加減に生きる」というのは、投げやりではなく、「そのときを生きる」ということですね。しかし、日々何かに追われていると、やらなくてはいけないことが目白押しで、目前のことに集中できなくなることがあります。どうしたらよいでしょうか?

植島:たとえば、重要な会議に出席することとか書類をコピーしなくてはいけないこととか仕事がいっぱい重なったら、いちばん簡単なことから始める。

 これは口でいうと易しく聞こえますが、意外と難しい。それだけに本当に大事なことです。

 切手を買いに行くような些細な用事でさえ、5つも6つも重なっていたら途端に重荷に感じます。人間は、内容の軽重でなく、用事の総量で大変かどうかを考えてしまうもの。雑用とか大事な用件とかが同じくらいに頭の中を占めて焦っているときは、まずいちばん簡単なことから手をつける。そうすると、あっという間に仕事は減っていきます。


--「しなくてはいけないこと」に囚われたまま仕事をすると、自分を見失って肝心の仕事の処理は疎かになるということですか?

植島:重要なことは手間がかかるので、なかなか片付きません。それでいて雑用に気持ちが残ったままだから余計に仕事がはかどらない。

 たとえば、あなたが失恋したとして、そのことばかり考えていたら、家賃の支払いが遅れるとかやるべきことがどんどん溜まってしまう。そんな場合も同じく、簡単なことから処理して、厄介なことは後回しにするということです。

 簡単にできることからやっていくと、「自分ひとりでできることは、たかが知れている」と分かるようになります。

 そういうことは旅していると特に分かります。旅先では、自分がマイノリティになります。まず人の助けがないと生きていけません。厄介事に対し、突っ張って自分の力でやっていこうとしても、なかなかうまくいかない。

 自分だけの力ではどうしようもないことを学ぶのが人生なのです。宗教から学びとれることもその本質部分を抜きにしては考えられません。

(後編に続く)

(文/尹 雄大、写真/風間仁一郎、企画・編集/漆原次郎&連結社)





| ユニフォーム姿三四郎 | 18:01 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ |
このページの先頭へ
CALENDAR
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<前月 2019/12 次月>>
ARCHIVES
LOGIN
現在のモード: ゲストモード
USER ID:
PASS:
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
SKIN BY
ゲットネット...¥
OTHERS


このページの先頭へ