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『幕臣たちの明治維新』 安藤 優一朗
    「何も選ばない」生き方のすすめ

この書籍を読んで、あらためて感じたこと。

薩長土肥の高級官僚の独占は、いたるところに形跡を
残している。たとえば、幕府直轄地であった地域は
もちろんのこと、官軍に付かなかった藩の県令(知事)や
権参事(副知事)など、初代を調べてみると、はるばる
薩摩(鹿児島)や肥前(佐賀)などの出身者が着任して
いることが多い。

これらは相当の数にのぼると見られるが、薩長土肥の
独占がゆえに、優秀な人材を不足していただろう。

これが、そもそもの日本の政治の弱体化の始まり
だったのかも知れない。

現代でも政治家、つまり代議士でたとえてみると、
それに比較して官僚の方が優秀であることが多いだろう。
おそらく、そういうことは既成概念として定着して
しまっていると思われる。

各省庁の官僚から見たら「誰が来ても同じ」だ。

同様に、他県から着た知事に対しても、必要以上に
冷たくあしらう地方公務員を見るにつけて、
明治時代に威張っていた県令達が引いた線が与えた
現代の2層化への影響が大きいことを感じる。

中級・下級官吏にしかなれなかった幕臣は、
それでも職があるだけマシというような物差しで
仕事を探したことだろう。もともと、太鼓が鳴れば
登城して、着物を着せたりするだけの仕事で
のんびりやっていた人達の子孫だから、お行儀は
良かっただろう。薩長土肥にとっては好都合
だったのかも知れない。

※幕府側では新撰組(武士では無い)を除いて、皆誠実
 だったと思っている。私怨で人を斬ったりする
 新撰組と、同じ土俵で戦った薩摩藩の下級武士に
 ついては言うまでも無いが、そういう人達が
 明治政府を動かした。そこまでいかない藩士達も
 後に出世して、勲章をもらったり、男爵などに
 なっている。



以下は書籍からの抜粋・・・

明治10年(1877年)の数字によれば、政府官員5215人のうち、
静岡・東京出身者は1755人にも及んでいたという。
静岡・東京出身者とは、静岡藩士であり、その母体となった旧幕臣の
ことだが、彼らが官吏の三分の一を占めていた計算になる。

もっとも、勅任官や奏任官など高級官僚は薩長土肥の四藩出身者が独占していたのだが、
判任官など中級以下の官僚には旧幕臣出身者が多かった(樋口前掲書)。
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