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  • 保証人・口頭での約束ごと・取締役

終戦が遅れた理由
    「何も選ばない」生き方のすすめ

5月くらいに、ポツダム宣言までの経緯を以下のように
ブログで記述した。

 既に、東京大空襲など大都市が壊滅状態になって
 4ヶ月近くが経過している7月、ポツダム宣言を昭和天皇は
 「もう一度戦果を上げ」て降伏もしくは和解の条件を上げる
 として受け入れなかった。

とあった。どうも釈然としなかったのだが、娘の夏休みの宿題で
原爆が課題だったので、色々と調べていたら、アメリカが
軍需産業として原爆投下を大きな目標としていたこと。
開発中の原爆が完成を待って、それを使用する実験として、
どうしても終戦を先延ばしにしたかった・・・という話を
見つけた。日本側は天皇を中心とする国体護持が最優先
だったので、アメリカ側は、わざと妥協案を出さないことで
日本の戦争終結への道筋を無くす。結果として、広島に
原爆が投下されたが、それでも妥協案を提出しなかった
のに、長崎への投下が終わったら突如として国体を
維持することと引き替えに終戦を認めた。

ここまでは、オトナなアメリカのすることだから、わかる
ような気もするのだが、下記の書籍ではもっと踏み込んで、
天皇が2発の原爆の投下をあらかじめ知っていて、
それが完了した時点で終戦にするようなストーリーが
秘密裏に出来ていたとの見解。ちょっと飛躍しているし、
裏付けや証拠に結びつく周辺の日記なども残って
いないので、トンデモ本になってしまうような・・・。

原爆製造もその投下も、言葉は悪いが、八百長である。八百長では勝者と敗者とがはっきりと区別できる。八百長を仕組んで大儲けした奴らが勝者である。仕組まれて大損したり、死んでいった者が敗者である。原爆について考察すれば、「原爆カルテル」で大儲けした奴らが勝者である。敗者中の敗者は、広島と長崎で被爆した人々である。
【原爆の秘密 国外編】



1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦の囮として
最後の空母「瑞鶴」を失ってから、都市への大空襲を経て、
原爆を2発投下されての終戦。日本が国体護持に
こだわっていることを逆手にとって、新型爆弾を
世界にアピールしてその後の主導権を得たアメリカ。

そのアメリカに統治されたことで、幸せな50年を
得ることができた。釈然としないが、生き残った
人々がツイていたことは間違いない。ソビエトに
侵攻されていたことを想像すると、極めてラッキー
だったと言えるのかも知れない。広島・長崎や
その他の地域で被害に遭われて、ご苦労された
方々には申し訳ありませんが、少なくとも今、
2010年まではラッキー、有り難い・・・と思わな
ければ戦場に散った方々に失礼なように思えます。


被爆3時間後、爆心地から2キロでの写真。
【なみだのファインダー―広島原爆被災カメラマン松重美人の1945.8.6の記録 】
(http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20080508153649338_ja)




最後の空母「瑞鶴」 沈没直前のバンザイ

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