2009-10-12 Mon
「何も選ばない」生き方のすすめ
ユニフォーム三四郎の最近読んだ書籍。
江戸時代にイタリアから宣教師として日本に来た「シドチ」。
(シドッチ、シロウテ、シローテとも呼ぶ)
司馬遼太郎のこの書籍には「白石と松陰の場合-学問のすすめ」
という1969年に書かれた寄稿の新井白石の学問への
取り組み方について、エピソードとしてシドチとのかかわり
が記述されている。
しかし、なぜかとても気になった。この宣教師はやはり
獄門にかけられてしまったのだろうか?。この書籍には
記述が無かったので、インターネットで調べてみた。
獄門では無かったが・・・やはり釈然としない結末。
恐らく凍死だろうか。死罪よりもひどい扱いになって
しまっている。ユニフォーム姿三四郎の家系は代々
神主なので宗派としては神道ということになっている。
本家には今も神社がある。それでもキリスト教は
どちらかと言えば(仏教に比べて)好きな方だ。
しかし、布教活動というのはいつの時代にも
余計なお世話と感じられてしまうのかも知れない。
それにしても、身近で世話をするうちに信心した長助から
見て、弾圧している下級武士よりもシドチの方が優しい人物に
映ったことは間違いないだろう。
以下は引用です・・・・・。
宣教師ヨハン・シロウテは、座って身を容れるだけの数尺の牢に閉じ込められます。
キリシタン弾圧の際に使用された一辺数尺の牢(3尺牢)は、津和野のキリシタン殉難の地「乙女峠」にそのひな型が展示されています。ヨハン・シロウテは、立つことも、横になることも、姿勢を変えることもできない数尺の牢の中で、わずかな粥以外何も与えられませんでした。
シロウテは、泣きながら、日本人は残酷である・・・と訴えたといいます。
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ae3d.html
(部落学序説 『西洋紀聞』・長助とはるの物語)
そして、上記と同じ吉田向学さんのブログには以下の
興味深い記述がある。
長助とはるが「非人」であるというのは、幕府から、そのように命じられて、長年に渡ってその仕事に従事してきたからです。獄舎の掃除や囚人の食事の世話は、長州藩の支藩である徳山藩の記録によると、「穢多」身分の「小番」という役がこれにあたります。長助とはるは、その職務上は、「被支配」ではなく「支配」の側に身を置いていたのです。
幕府が、狂気の中、キリシタン糾弾や弾圧をしている真っ最中なら、長助とはるは、キリシタン関係者として、キリシタンと同じ罪で斬首に処せられたと思われます。しかし、その時は過ぎ去り、江戸の民衆からキリシタン糾弾や弾圧の悲惨さを遠ざけることを幕府の方針としたあとであったため、長介とはるは命拾いをするのです。それぞれの両親は処刑され、そのあと、キリシタン・バテレンに引き取られていたのです。長介とはるは幼くして殺すにしのびないと思った幕府は、キリシタン屋敷に囚人として送られてくる「宗教犯罪者」の身の回りの世話をする役を与え、長助とはるを生かすのです。そして、長助とはるが年頃になったとき、二人を夫婦にします。
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ae3d.html
(部落学序説 『西洋紀聞』・長助とはるの物語)
このほか、シドッチの概要を知るには、以下のサイト
も興味深い。現代のキリスト協会のサイトでは、
シドッチの信仰心を讃えている。もうひとつは、
成人してから「長助とはる」のエピソードを
深く知り、キリスト教徒から離れた方のサイト
です。
http://www.nobitown.com/dom020603.html
(西洋思想と東洋思想 ~最後の宣教師「新井白石とシドッチ」~)
http://web.archive.org/web/20080127195920/http://www.page.sannet.ne.jp/tcchp/mikotoba/hakuseki.htm
http://tatebayashi-kk.org/mikotoba/mikotobatonokaiwa.pdf
(新井白石と宣教師しろうて( 西洋紀聞 から))
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆ ☆☆☆
☆☆☆ ユニフォーム姿三四郎が紹介されています ☆☆☆
☆☆☆ ☆☆☆
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ユニフォーム三四郎の最近読んだ書籍。
江戸時代にイタリアから宣教師として日本に来た「シドチ」。
(シドッチ、シロウテ、シローテとも呼ぶ)
司馬遼太郎のこの書籍には「白石と松陰の場合-学問のすすめ」
という1969年に書かれた寄稿の新井白石の学問への
取り組み方について、エピソードとしてシドチとのかかわり
が記述されている。
しかし、なぜかとても気になった。この宣教師はやはり
獄門にかけられてしまったのだろうか?。この書籍には
記述が無かったので、インターネットで調べてみた。
獄門では無かったが・・・やはり釈然としない結末。
恐らく凍死だろうか。死罪よりもひどい扱いになって
しまっている。ユニフォーム姿三四郎の家系は代々
神主なので宗派としては神道ということになっている。
本家には今も神社がある。それでもキリスト教は
どちらかと言えば(仏教に比べて)好きな方だ。
しかし、布教活動というのはいつの時代にも
余計なお世話と感じられてしまうのかも知れない。
それにしても、身近で世話をするうちに信心した長助から
見て、弾圧している下級武士よりもシドチの方が優しい人物に
映ったことは間違いないだろう。
以下は引用です・・・・・。
宣教師ヨハン・シロウテは、座って身を容れるだけの数尺の牢に閉じ込められます。
キリシタン弾圧の際に使用された一辺数尺の牢(3尺牢)は、津和野のキリシタン殉難の地「乙女峠」にそのひな型が展示されています。ヨハン・シロウテは、立つことも、横になることも、姿勢を変えることもできない数尺の牢の中で、わずかな粥以外何も与えられませんでした。
シロウテは、泣きながら、日本人は残酷である・・・と訴えたといいます。
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ae3d.html
(部落学序説 『西洋紀聞』・長助とはるの物語)
そして、上記と同じ吉田向学さんのブログには以下の
興味深い記述がある。
長助とはるが「非人」であるというのは、幕府から、そのように命じられて、長年に渡ってその仕事に従事してきたからです。獄舎の掃除や囚人の食事の世話は、長州藩の支藩である徳山藩の記録によると、「穢多」身分の「小番」という役がこれにあたります。長助とはるは、その職務上は、「被支配」ではなく「支配」の側に身を置いていたのです。
幕府が、狂気の中、キリシタン糾弾や弾圧をしている真っ最中なら、長助とはるは、キリシタン関係者として、キリシタンと同じ罪で斬首に処せられたと思われます。しかし、その時は過ぎ去り、江戸の民衆からキリシタン糾弾や弾圧の悲惨さを遠ざけることを幕府の方針としたあとであったため、長介とはるは命拾いをするのです。それぞれの両親は処刑され、そのあと、キリシタン・バテレンに引き取られていたのです。長介とはるは幼くして殺すにしのびないと思った幕府は、キリシタン屋敷に囚人として送られてくる「宗教犯罪者」の身の回りの世話をする役を与え、長助とはるを生かすのです。そして、長助とはるが年頃になったとき、二人を夫婦にします。
http://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/post_ae3d.html
(部落学序説 『西洋紀聞』・長助とはるの物語)
このほか、シドッチの概要を知るには、以下のサイト
も興味深い。現代のキリスト協会のサイトでは、
シドッチの信仰心を讃えている。もうひとつは、
成人してから「長助とはる」のエピソードを
深く知り、キリスト教徒から離れた方のサイト
です。
http://www.nobitown.com/dom020603.html
(西洋思想と東洋思想 ~最後の宣教師「新井白石とシドッチ」~)
http://web.archive.org/web/20080127195920/http://www.page.sannet.ne.jp/tcchp/mikotoba/hakuseki.htm
http://tatebayashi-kk.org/mikotoba/mikotobatonokaiwa.pdf
(新井白石と宣教師しろうて( 西洋紀聞 から))
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