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先祖の調べ方
    「何も選ばない」生き方のすすめ

以下のサイトで先祖の調べ方を教えていただいたのが、
テキストに残っていたので、転載させていただく。このサイトは
現在無くなってしまったようだ。残念。

やまとこころ
http://blogs.dion.ne.jp/amabegoro/archives/cat_10726.html



以下は引用です。

歴史・文学・雑学について
March 28, 2006
先祖の調べ方(5)
 かなり久々の先祖の調べ方ということです・・・・。

 今回は「○藤」さんの苗字について。
 よく佐藤さんとか近藤さんとかおられますが、もともとは「藤原氏」ゆかりの苗字なのですね。
 平安時代の頃、各地の国司(いまの行政最高責任者)になった藤原さんたちがいました。
 藤原といっても、傍系の傍系になるともう貴族とはいえず、さまざまな手段で「官位」を買ったといいますね。
 めでたく国司になった藤原さんたちは、地元からさまざまな利益を得て都に帰ったといいます。
 この藤原さんたちのご落胤がいたのですね。
 地方の豪族、庶民の女性が産んだ子供たちが「地方貴族?」となって豪族、武士となったといいます。
 そのとき、「藤原・・・」では聞こえがわるく、どこの生まれか分からなくなるので、生まれた国の名を名乗ります。
 近江の藤原氏だから「近藤」、遠州の藤原氏は「遠藤」、武蔵の藤原氏は「武藤」などなど。
 また、都から来た藤原氏の一族がその国の国名(住所地)と藤を合わせたということもあるそうです。
 佐藤姓は、佐野(栃木県)の藤原という意味があるそうですね。
 皆藤姓なども国名ではないのですが、藤原氏の流れらしいですね。
 ところで、「古代でもっとも多かったのが物部氏、中世では藤原氏、近世では源氏の流れが栄えたとされます」ね・・・・。
 物部→藤原→源氏と名乗った家系もあるようで・・。
 一筋縄ではいかないようです。ご参考までに。

Posted by amabegoro at 16:17 |Comments(0) | 先祖の調べ方
September 21, 2005
先祖の調べ方(4)
 約一年ぶりに先祖の調べ方(4)を書こうかと・・・。
 先祖の調べ方(1)では、戸籍謄本のこと、墓について
 先祖の調べ方(2)は、家の宗旨による先祖の身分、職業について
 先祖の調べ方(3)は、ご先祖の戒名(法名)について
 を書いてみました。

 今回は、少し「家紋」について書いてみようと思います。
 家紋にはいろいろありますが、今回は「くぎ抜き紋」について。
 この紋は、近江源氏の「佐々木姓」の方が多く使います。
 佐々木姓は、宇多天皇の子孫とされ、滋賀県を拠点に栄えた一族です。有名なバザラ大名・佐々木道誉はこの一族です。
 この一族が京都の京極、六角に住んだところから京極姓、六角姓ともなっています。
 戦国時代、中国地方に勢力を誇った「尼子氏」や明治時代の軍人・乃木希典氏も佐々木一族とされ、北は東北から南は九州まで佐々木姓は存在します。
 つづく

Posted by amabegoro at 13:52 |Comments(0) |TrackBack(0) | 先祖の調べ方
September 25, 2004
先祖の調べ方(3)
 今回は戒名からわかる先祖です。
普通の家では仏式にて葬祭をおこないます。亡くなった家族には、漢字の難しい字の名前がつけられます。属する宗旨によって戒名(かいみょう)、法名(ほうみょう)と呼ぶ場合があります。
 戒名はよくお墓に刻んでいます。あるいは家の仏壇に戒名帳といって戒名が書いてあるのがありますので見てみてください。
 
 普通の戒名は
 ○○○○信士(信女)、または○○○○居士(大姉)となります。
 男性には信士(居士)、女性には信女(大姉)とつけられます。
 ○○○○には漢字で4文字が入ります。
 次に
 ○○院○○○○居士(大姉)があります。
 財産のある家、寺院に寄付したり、世話をした 人、有力者、俗に旧家といわれる家に多い。(現在は一般的にこのタイプがほとんど)
 かつての武士、サムライに多いのが
 ○○軒○○○○居士(大姉)があります。
 または、
 ○○院(軒)○○○○禅定門(女性は禅定尼)があります。これは武士、かつての豪族といわれる家の人に多い。
 さらに大名、公家となると
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Posted by amabegoro at 11:25 |Comments(0) |TrackBack(1) | 先祖の調べ方
September 14, 2004
先祖の調べ方(2)
 先祖の戸籍、お寺をもう知ってる方のためにもう少し詳しく書きます。
 江戸時代、徳川幕府の政策で「檀家制度」が行われていました。これは現在の戸籍にあたるもので、日本人なら必ず「ある宗派」でお葬式をするように定められていました。これは、「キリシタン」取締りと身分を固定するためにおこなわれたらしい。
 身分によって「お寺」の宗旨が決まっていました。
 天子(天皇・皇族)→真言宗
 公家       →天台宗、臨済宗、浄土宗
 大名       →浄土宗、禅宗など
 武家       →禅宗、真言宗
 商人       →浄土宗、浄土真宗
 農民       →真言、浄土真宗など
 工芸・職人    →日蓮宗、時宗など

 大まかに言うとですが、このような分類になっていたらしい。
 うぅん? 神道ですか?
 神道は、明治になって神職となっている家では、
 「廃仏棄釈」で真言、天台宗の僧侶から、神道になったところが多い。
 ちなみに隠れキリシタンは、浄土、浄土真宗としておりました。
 これらを頭にいれとくと、先祖の職業がわかるはずです。ただし、例外もあるので確認してみて下さい。
 明治以降、あるいは戦後に家の宗旨を変えている場合もありますので、この分類はあてはまらないこともありますのでご容赦のほどを・・・・・・。
(つづく) 次回は、戒名からみる先祖の姿です。

 
 

Posted by amabegoro at 14:22 | 先祖の調べ方
先祖の調べ方(1)
 今日は旧暦の太陰暦では八月一日。八朔(はっさく)の日です。果物のはっさくは、このはっさくからきています。
 それはさておき、昨日の続きで「先祖の調べ方」をご教授いたします。
 先祖ってどう調べるの?やまぶしさんが進路学習で書いていましたが、 
 まず、自分の本籍地を確認します。まず戸籍を取り寄せてください。戸籍には必ず「本籍地」と「戸籍筆頭者」がのっています。「戸籍筆頭者」が死亡しているときは「除籍謄本」をとりよせて確認します。一通@800~1000くらい
 自分→両親→祖父母→曽祖父母・・・とさかのぼれます。「除籍謄本」でわからなければ「原戸籍謄本」をとってみてください。それらで5~7代前の先祖のつながりはわかります。
 母方の場合も同じように取れますが直系の親子関係でないと「戸籍」はとれないのでご注意。
 本籍地と現在の住所が違う場合は、本籍地のある市役所、町村役場に問い合わせて「郵送」で「除籍謄本」を取得できるか確認してください。続きを読む

Posted by amabegoro at 13:49 |Comments(2) |TrackBack(1) | 先祖の調べ方
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『幕臣たちの明治維新』 安藤 優一朗
    「何も選ばない」生き方のすすめ

この書籍を読んで、あらためて感じたこと。

薩長土肥の高級官僚の独占は、いたるところに形跡を
残している。たとえば、幕府直轄地であった地域は
もちろんのこと、官軍に付かなかった藩の県令(知事)や
権参事(副知事)など、初代を調べてみると、はるばる
薩摩(鹿児島)や肥前(佐賀)などの出身者が着任して
いることが多い。

これらは相当の数にのぼると見られるが、薩長土肥の
独占がゆえに、優秀な人材を不足していただろう。

これが、そもそもの日本の政治の弱体化の始まり
だったのかも知れない。

現代でも政治家、つまり代議士でたとえてみると、
それに比較して官僚の方が優秀であることが多いだろう。
おそらく、そういうことは既成概念として定着して
しまっていると思われる。

各省庁の官僚から見たら「誰が来ても同じ」だ。

同様に、他県から着た知事に対しても、必要以上に
冷たくあしらう地方公務員を見るにつけて、
明治時代に威張っていた県令達が引いた線が与えた
現代の2層化への影響が大きいことを感じる。

中級・下級官吏にしかなれなかった幕臣は、
それでも職があるだけマシというような物差しで
仕事を探したことだろう。もともと、太鼓が鳴れば
登城して、着物を着せたりするだけの仕事で
のんびりやっていた人達の子孫だから、お行儀は
良かっただろう。薩長土肥にとっては好都合
だったのかも知れない。

※幕府側では新撰組(武士では無い)を除いて、皆誠実
 だったと思っている。私怨で人を斬ったりする
 新撰組と、同じ土俵で戦った薩摩藩の下級武士に
 ついては言うまでも無いが、そういう人達が
 明治政府を動かした。そこまでいかない藩士達も
 後に出世して、勲章をもらったり、男爵などに
 なっている。



以下は書籍からの抜粋・・・

明治10年(1877年)の数字によれば、政府官員5215人のうち、
静岡・東京出身者は1755人にも及んでいたという。
静岡・東京出身者とは、静岡藩士であり、その母体となった旧幕臣の
ことだが、彼らが官吏の三分の一を占めていた計算になる。

もっとも、勅任官や奏任官など高級官僚は薩長土肥の四藩出身者が独占していたのだが、
判任官など中級以下の官僚には旧幕臣出身者が多かった(樋口前掲書)。
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ポツダム宣言から降伏までのまとめ
    「何も選ばない」生き方のすすめ

1945年7月26日、アメリカ合衆国、中華民国および英国の連合軍はポツダム宣言を発した。この時点ではソビエトは中立の立場であった。日本はこれを無視。

既に、東京大空襲など大都市が壊滅状態になって4ヶ月近くが経過している7月、ポツダム宣言を昭和天皇は「もう一度戦果を上げ」て降伏もしくは和解の条件を上げるとして受け入れなかった。その日から降伏までの、ほんの数週間に悲しい出来事が大きくなったことは事実。(但し、本当に天皇の意見だったかどうかは出典が確認できていない。)

8月6日広島市への原子爆弾投下。
8月8日ソ連の宣戦布告。
8月9日長崎市への原子爆弾投下。
8月10日国体の変更を伴わないかどうかを連合国に確認。
8月14日回答を待たずに御前会議で、昭和天皇の裁断によりポツダム宣言受諾が決定
8月15日昭和天皇、戦争の終結を国民に伝える玉音放送。

上記の流れを追っていくと、2つの原爆とソ連の参戦により、敗戦の相手国を増やしてしまったことが悔やまれる。その理由は「国体の維持」という、現体制の保身に集約されていることを考えると、さらに責任は大きいと言える。

しかし、ソ連の参戦などを警戒したアメリカが、より戦勝後の日本の統治に意欲を燃やしたことは非常に運が良かったのかも知れない。ソビエトや中国に占領されていたとしたら、日本の文化の毀損度は、アメリカ統治による毀損度とは比べものにならないくらい大きかっただろう。(10日の御前会議での昭和天皇の決断は、遅かったことは否めないが、戦後のアメリカ占領の流れをギリギリ保ったことは功績と言えるのかも知れない。)

今、中国が「世界の中心の国」であることを数百年ぶりに意識しはじめて、一部に日本を属国と考えるような勢力の台頭も危惧される。アジア通貨統合など、やんわりとした合流は避けられない時代となったとしても、少しでもその時期を先延ばしにするような政策が求められる。政策といっても、政治家は何も考えていないし、官僚も保身ばかり。こうなると、アメリカに統治された時と同じように運に身を任せるしか無いのか?。

ただ、言えることは、中国やロシアが今のままでは無く、かつての日本のように外国文化や考え方を受け入れることが出来たら、文化的な国家になることも間違いでは無いだろう。私が昔、大学で勉強したロシア文学や中国文学の誠実な精神性というもの、それらの先祖の思想が花を咲かせて、もしかしたら新たな価値観を生み出すかも知れない。

いずれにしても、今の日本人は労働時間ばかり長くて、仕事の密度が低すぎる。かつてはそれを補う技術力があったのだが、それが激減していることを考えると、先ほどの日記の繰り返しになるが「勤勉さを取り戻すこと」しか無いだろう。タイムカードを押している時間に、なんとかして仕事をしないでおこうと考える人間を責めなければ、将来リスクが発生しても、日本人を大切な隣人と考えてもらえない。

敗戦当時の日本人というのが、アメリカ人から見て誠実で勤勉に見えたことは間違いのない事実なのだから。

※但し、原爆はもとより、東京や大阪などの民間人を絨緞爆撃されたことは、孫の代まで伝える必要がある。


【ポツダム宣言】
ポツダム会談での合意に基づいて、アメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、1945年(昭和20年)7月26日に大日本帝国(日本)に対して発した、第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)に関し、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた13条から成る宣言。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80)


【ソ連対日参戦】
満洲における日本の軍事力が急速に低下する一方でドイツ軍は敗退を続け、ソ連側に余力が生じたことでソ連の対日参戦が現実味を帯び始める。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8F%82%E6%88%A6)


こうした状況下で、二月に平沼騏一郎・広田弘毅・近衛・若槻礼次郎・牧野伸顕・岡田・東条ら七人の重臣によって時局に関する上奏が行われた。これら七人の重臣の中で、近衛だけが明確な政治的方向性を持って上奏した。(19)近衛は「最悪ナル事態ハ遺憾ナガラ最早必至ナリ」として、敗戦が最早避けられないことを述べ、「国体護持ノ立場ヨリ最モ憂フベキ」なのは「共産革命」であり、それを回避するためには、「一日モ速ニ戦争終結ノ方途ヲ構ズベキ」という考えを上奏した。これに対し天皇は「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」(20)と答えた。
(http://megalodon.jp/2010-0505-1321-26/www.bl.mmtr.or.jp/~k-hideya/sotsu2.htm)


この宣言が出ても、戦争継続派は非常に強硬ではあったが、広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦など戦局はより緊迫し、鈴木首相・米内海相らは「国体護持」だけを条件にしてポツダム宣言を受諾すべきだと主張し、日本側の自主的武装解除などの四条件付き受諾をとる阿南惟畿(惟幾)陸相・梅津美治郎参謀総長らと対立した。この結論は一〇日の御前会議に持ち越され、天皇の「聖断」によって、「国体護持」のみを条件としてポツダム宣言を受諾することに決定した。
(http://megalodon.jp/2010-0505-1321-26/www.bl.mmtr.or.jp/~k-hideya/sotsu2.htm)


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| ユニフォーム姿三四郎 | 16:55 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::読書 |
韓国の昔の写真を見て、日本のことを想う
    「何も選ばない」生き方のすすめ

とにかく衝撃的な写真が下記のサイトに掲載されて
いる。

http://megalodon.jp/2010-0401-0042-07/photo.jijisama.org/OldKorea.html

このサイトによると、チマチョゴリという韓国の民族衣装
は、女性の胸をむき出しにしていることが事実として
写真に残っていることが説明されている。

こういう恥ずかしい歴史は、広まらないように意識的
に隠されてしまうのだろう。

日本も、この時代は韓国に比べれば、多少先進的
であったが、江戸・明治のはじめは同じように恥部を
かかえているものと思われる。都市部から外の民衆は
ヨーロッパ人から見ると「土人」と呼ばれていたりして、
現代の我々が思い描くアフリカの後進的な人々と
同じような外見に映ったようだ。

顔も体も真っ黒で、男と女の見分けがつかないような
人々が、関東以北の農村部では暮らしていた記録が
残っている。おそらく、全国的に見ても似たような
ものと思われる。

風呂にも入らずに、日に焼けて農作業をして、
煮炊きや炭作りでススをかぶり、そのまま寝ている
ような毎日だったのだろう。

  ほんの百年ほど前のこと・・・。

ほとんどの日本人の曾曾お爺さんとか、曾曾お婆さん
は、そんな暮らしをしていたんだと、全ての日本国民が
イメージしてみたとしたら、何かが変わるのでは?と
思ったりする。

現代人の苦労とは比べものにもならない。捨て石の
ように命を繋いでくれて、このような幸せを与えてくれた
ご先祖様に感謝しなければならない。

毎日、好きな時間にお風呂に入って、食べたいものを
食べることが出来ている。1日の中の7時間とか8時間
とか『仕事の時間』くらいは勤勉に働いてみても良い
のでは無いだろうか。

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| ユニフォーム姿三四郎 | 12:30 | comments (x) | trackback (x) | ユニフォーム姿三四郎の幸せ::読書 |
ギターでソロの名手といえば・・・
    「何も選ばない」生き方のすすめ

スタンリー・ジョーダン(Stanley Jordan)という独奏の
名手が80年代にジャズシーンで活躍した。タッピング
奏法を極めて、ギター2人分の演奏を一人でやって
しまう達人。どちらかというと、ジャズよりもインスト寄り
なので、一発屋のように消えてしまっているかと思って
いたが、インターネットの時代になって、その後の
様子が分かるようになっている。調べてみたら、現在
でも世界中のブルーノートなどを回って、活躍して
いるようで安心した。

Youtubeでスタンリー・ジョーダンをほじくっていたら、
ヴァン・ヘイレン (Van Halen)にたどり着いた。
エドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen)の
タッピングも凄い。

もともと、この演奏だけでなく、Edward の演奏には
メロメロだったのだが、比べてみるとEdwardの音楽性
の高さが際だっているようだ。特に、humans being
でのソロは何度聴いても圧巻。

Van Halenを脱退したサミー・ヘイガー(Sammy Hagar)
と、マイケル・アンソニー(Michael Anthony)が結成
したバンド「チキンフット」も良いには良いのだけれど、
こうして比べてみるとVan Halenのギターとドラムは
テクニックも音楽性も高いレベルで完結していることが
よく分かる。

スタンリー・ジョーダンという名前を、よく忘れるので
備忘録として残しておくことにした。
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