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木戸孝允(桂小五郎)
    「何も選ばない」生き方のすすめ

木戸孝允は写真で見るところ、神経質そうで乱暴者のように
思えない。司馬遼太郎の作品でも、悪役として登場することも
無いので、好印象でいたのだが、太平洋戦争の開戦や終戦時の
いきさつで、この人の孫の木戸幸一が重要な役割(悪い意味で)を
担っていたことを知り、調べているうちに祖父である木戸孝允の
悪い一面に出くわしてしまった。

木戸幸一については、後でまとめることにして、ここでは
木戸孝允の一般的な印象とは異なる一面をまとめてみる。

下記で引用しているように、木戸孝允は日記では会津の
惨状について客観的に述べているのだが、敗者としての
会津人からは根強い恨みを持たれていたようだ。

以下は引用です。

1868(明治元)年9月、会津若松城(※4)が落城した際には、家々が焼失し、自刃した人、子どもも老人も刃(やいば)に倒れた姿があることを木戸は聞き、「不堪哀痛之至也(あいつうのいたり たえざるなり)」と日記につづっています。
(http://kirara.pref.yamaguchi.lg.jp/mag/html/vol214/omoyama.php)


因みに、斗南とは「北斗以南皆帝州」と言う意味で、現在のむつ市に当たります。
会津23万石から斗南3万石へと、8分の1に近い大幅減封となり、しかも、この土地は火山灰地で耕作地に乏しく、実収7,000石に過ぎません。
後に陸軍大将となる柴五郎は、その回顧録に、猟師に射殺遺棄された犬の死骸を、犬の飼い主に貰って2名の藩士が談合で半分に分け、家族が飢えを凌ぐと言った話を載せています。

柴五郎はその犬肉が喉を通らなかったのですが、その五郎を見た父がこう言います。
武士は戦場で兵糧尽きれば犬猫でも食って戦うものだ。
特に今回は賊軍に敗れて辺地に来たのだ。
会津武士は国辱を濯ぐまで餓死は出来ない。
ここは戦場なのだ。かくも凄まじい生活を強いられてきた会津藩の武士達ですが、元々彼等の総数は、4,000戸、17,000名とも言われていました。
しかし、8分の1の石高、しかも実収が更にその4分の1程度ではそれだけの家臣を養えません。

当然、彼等の殆どは斗南に行く事も出来ず、失業せざるを得ませんでした。
因みに、柴五郎の回顧録には、会津に帰る者210戸、農商に帰する者500戸、江戸その他に分散する者300戸、斗南に移住する者2,800戸、そして北海道に自発的移民をする者200戸と書いています。
斗南に2,800戸の人々が行っても生活出来ません。
明治新政府の人々は、これらの会津降伏人を軍務官の管理に置いて、北海道の開拓に向けようと考え、参議の木戸孝允にその取り扱い方を命じました。

木戸は1869年2月10日、こう述べています。
会津降伏の処も、いよいよ北地の論一決仕り候。
追々軍務とも相談仕り置き候。
一万余人を彼地に相移し候と申す事、中々容易に御座無く候処、先達来会津人の面々にも話し、篤と朝廷御旨趣も申し聞かせ候処、一統意外に奮発仕りおり候様に相察、朝廷の御為粉骨尽力仕りたき存念にて、主人重罪万分の一を相償たしとの志も相見え、如何にも憐れむべきの至りにて、且つ又朝廷の於いても、今日に至り候ては、天下御一視にて、会津人と言えども至る所皇国の民につき、此上は一人も其処を得候様あそばされたきの思食は申上るまでもなこれなく…。こうして、政府は箱館府に以下の指示を下します。
今度会津降伏人蝦夷地ノ内、発作(発寒)部、石狩、小垂内(小樽)3箇所へ開拓ノ為移サレ、右取扱方ノ儀ハ軍務官ヘ仰付ラレ候条、彼ノ三カ所同官へ引渡スベキ旨御沙汰候事。

とは言え、この頃の箱館府は榎本軍に追われて本土に逃亡していた為、実施は後の事となります。
なお、当時会津降伏人には1人当たり2人扶持の手当が支給されていたので、以前の伊達陪臣よりは優遇されていたと言えます。

7月8日、軍務官は兵部省に改組され、同時に北海道の統治組織として開拓使が設置されました。
兵部省は会津降伏人始末荒目途を作り、2年に4,000名、3年に8,000名の合計12,000名を移住させ、家屋3,000戸や農具など460万円、米9万石を要求し、更に石狩や小樽内などの小部落単位では無く、伊達陪臣の様な一円支配として、田城国と言うものを設置する様要求しました。
なお、北海道が11カ国86郡に分けられたのは8月15日なので、田城国は存在していません。

ところが、田城国の一円支配要請後間もなく、兵部省は田城国の開拓使移管を申請しました。
開拓使が設置されたのだから、開拓使が蝦夷地一円支配をしなければならないという論理でしたが、維新政府の実力者であった木戸孝允が怒って兵部大輔大村益次郎に阻止運動を進め、一端開拓使に移管された石狩近辺は再び兵部省管轄に戻ります。
短期間中に朝令暮改されて、会津人からしてみたら迷惑な綱引きです。

その様な綱引きがあって、8月15日の北海道国郡区画後、石狩郡、高島郡、小樽郡の兵部省支配が決定され、9月に更に瀬棚、太櫓、山越、白糠、阿寒、足寄の6郡も兵部省管轄となりました。

10月銭函に到着した開拓使判官の島義勇は、早々に札幌本府建設に取りかかりましたが、札幌に入る沿岸地帯が総て兵部省管轄となっており、札幌経営上、不便極まりない状態になっていました。
開拓使と兵部省の間に何らかの確執があった事が伺えます。

11月、開拓使と兵部省との間に協議が持たれ、1870年1月を以て兵部省は北海道分領支配から全面的に手を引く事になりました。
従来の兵部省支配地9郡の内、瀬棚、太櫓、山越の3郡に歌棄郡を加えて、斗南藩知事松平慶三郎(容大から改名)の支配地とし、会津降伏人、つまり移住の会津旧臣を総て斗南藩に委ねる事になりました。
他の石狩、白糠、小樽、足寄、阿寒の6郡は開拓使管轄に入ります。

しかし、斗南藩知事の松平慶三郎には還された旧臣士族を開拓の方向に指導する事が出来ませんでした。
結局は開拓使が受け容れて配置する他無く、降伏人引き受けをたらい回しにしたツケが回ってくる事になったのでした。

因みに、木戸が彼等を兵部省管轄に置く事に拘った理由としては、北辺対露紛争が生じた場合は、彼等の戦闘力に期待し、援軍が到着するまで玉砕覚悟で戦ってもらえれば良いと言う捨て石的な見方を持っていたのでは無いかとも言われています。
(http://s.webry.info/sp/nemuihito.at.webry.info/201206/article_25.html)




 旧会津藩士のうち、東京に移送され謹慎となった者達は元家老・山川大蔵を中心にしてお家再興の申請を政府に対して何度も行った。その結果、1869(明治2)年9月に家名再興の許可が下り、1870(明治3)年には新たに下北半島、さらに陸奥三戸郡、二戸郡、後志の瀬棚郡、山越郡をあわせて3万石ということで斗南藩の設立が認められ、2800戸の藩士一族と藩主(藩知事)、 松平慶三郎らは下北へ移住した。だが、そこは農耕には不適な土地で、移住した藩士たちはここで辛酸をなめることになる。一方で、降伏した会津藩士の処遇についても政府内で意見がいろいろと出され、参議・木戸孝允らは会津士族たちを北海道開拓に使おうともくろんだ。そこで、当時兵部省の支配地だった札幌に移住させることにし、その準備に取り掛かった。会津士族と北海道の 関わりは、政府の思惑によるところが大きく、その点が伊達、当別と違うように僕は思う。

余市の誕生
 話はちょっと前後するが、1869(明治2)年9月に兵部省は会津士族100戸を小樽に連れてきた。これは当初、札幌を開拓させようという目論見があってのことだった。だが、札幌には開拓使が設置されている。おまけに当時、政府機関でありながら兵部省と開拓使の仲は険悪だったそうで、仕方なく兵部省は当別開拓に会津士族を投入することにした。だが、翌1870(明治3)年、 政府施策により兵部省は北海道支配から撤退。会津士族は開拓使に庇護を求めたものの、開拓史はこれを拒絶。政府からは旧主を頼れという通達が出る始末。これではまさにたらいまわしである。だが、元の会津藩である斗南藩に彼らを庇護するだけの力はない。自分達の生活すら危うい状況だったのだ。そこで新たに設置された樺太開拓使に救済を嘆願した。当時、樺太開拓使の次官は 黒田清隆で、黒田はいったん余市で待機させたのち樺太へ移住させて開拓に当たらせようと考えてこれを受諾。一同、余市で樺太へ移住する日を待つことになったのだが、1年半後には樺太開拓使自体が北海道開拓使に吸収されてしまい、この話は立ち消えになった。そこで開拓使では会津士族を余市に定住させることにし、以後開拓募移民ということで保護、指導を受けて余市の開拓にあたることになる。(http://web1.nazca.co.jp/hp/comeshining/kyodo2.html)

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